過疎と雇用対策の嘘
原発が建設されたのは、例外なく過疎が進んだ地域ですが、
それでも原発建設計画が持ち上がると、反対する人がいました。
こんな危険なものを、どうして自分の地域に建設するのか?
たいていの人にとって、あまり気持ちのいいものではありません。
それにもかかわらず、行政が原発を承認してしまうのは、
ほとんどの場合、過疎化する地域の雇用創設が目的でした。
その典型的な例が、再処理工場がある六ヶ所村ですが、
長年に渡って続けられた反対闘争は、膨大な補償金と雇用で、
次第に骨抜きになり、いつのまにか反対者の声は小さくなりました。
実際に多くの人が、再処理工場から収入を得るようになると、
反対し続けることで収入を得られないままでは、焦りとなって、
自分も何らかの利益を得たいと思うのは、否定できない心情でしょう。
電力会社や政府は、膨大な予算を使って原発の安全神話を作り、
さらに「原発は必要だ」「原発がないと電気が不足する」
「原発がないと地球温暖化を止められない」と人々を洗脳しました。
それでも、おかしいと気付いた人たちは大勢いたはずですが、
そうした人たちの声は、新聞テレビの大宣伝で掻き消されてしまい、
発言する機会さえ、与えられなくなっていったのです。
お金経済の雇用を求めて、そこから派生する利益に与ろうとして、
自分では何一つ改善しようがない、依存システムを受け入れてしまう。
いったん原発を受け入れてしまえば、市民は言われるままに、
その場所に立ち入ることもできないし、立ち入っても何も出来ない。
ひたすら言われる通り、マニュアル通りに働くしかなくなって、
そこで得たお金を使って消費する、システムの部品になるしかない。
何か不都合があったとしても、どこかに苦情を言うだけで、
自分でそれを解決できない、無気力な人間になっていきます。
気が付けば、40年で廃炉だったはずの原発が20年延長され、
それぞれの原発には、大量の使用済み核燃料が貯蔵されたままで、
国の威信をかけた核燃サイクル構想も、絵に描いた餅のままでした。
それでも市民は素人だから、専門家の指示に従うしかなく、
首を傾げながら従っている内に、今回の原発事故が起きたのです。
この人災も、依存システムを受け入れた帰結と言えるでしょう。
いよいよ市民のあいだから、脱原発の気運が盛り上がってくると、
再び雇用の問題が声高に言われ、原発が無くなると経済が廃れると言う。
市民主体の自然エネルギーだって、雇用は創設できるはずなのに、
どうして電力会社や行政は、危険な原発を採用したがるのか?
彼らは市民の利益よりも、巨大利権をコントロールすることで得る、
濡れ手に粟の金銭的収入を得る方が、好きだからでしょう。
今日僕は、富山大学で「東日本大震災に学ぶー原子力発電政策ー」
連続特別講演会に参加して、「六ヶ所村の問題から学んで欲しい事」
と題した、上記のようなお話しをしてくる予定でいます。
大学では映画を上映し、監督から直接話しを聞きたかったでしょうが、
監督は原発事故以降、超多忙で時間が取れないので僕が代役、
作品や発言から学んだ事を、少しでもお伝えできればと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
所得トップは六ケ所村民/08年度