「フローズンリバー」

イメージ 1
 
2008年のサンダンス映画祭で、グランプリを取った作品、
「フローズンリバー」が無料公開されていたので、観てみました。
サンダンス映画祭は、大手映画会社が制作するものとは違い、
比較的低予算で制作され、著作権も監督個人が持っていることが多い、
いわゆるインディペンデント映画を対象とした、大きな映画祭です。
過去には僕が気に入った「この森で、天使はバスを降りた」も受賞して、
以前からメジャーではない映画で、気になる作品が選ばれていました。

夫婦の不仲からか夫が家を出ていって、残されたレイと二人の息子は、
クリスマスが迫る季節に、食べ物にも困る生活に落ちてしまうのですが、
夫の車を勝手に使う先住民の女ライラと知り合い、関わりを持つ。
この女も事情があって、不法移民の手助けをして報酬を得ていることを知り、
レイは子どもたちのために、自分もこの手助けをする仲間になっていく。
最初はただ報酬のためと割り切って、ライラを信用しないレイですが、
パキスタン人の赤ん坊を助けたときに、二人は心が通じ合っていきます。

レイは危ない橋を渡りながら、なんとか新しい家を手に入れる算段が見え、
これが最後と思って手を付けた仕事で、トラブルに見舞われます。
二人は先住民の部族民に助けられながら、警察に追われる身となって、
緊急の部族会議が開かれた結果、レイかライラかどちらか一人が警察に行き、
片方だけが逃がしてもらえることで、話しがまとまるのです。
ライラは自分の子どもが祖母に育てられていることから、レイを逃がし、
レイと二人の子どもが無事に暮らせることを、選択するのですが・・・

同じ母親として、子を思う気持ちが同じであることを知ったレイは、
様々な想いからそのままライラを見捨てることができず、引き返します。
そして選択した答えは、自分が刑務所にはいることでした。
社会の底辺で必死に生きる人たちを描いた、力作ではあるのですが、
僕はこの映画から、問題が多いアメリカ社会の健全な何かを、
たとえば保安官が自分の判断で、市民を注意したり逮捕したりする、
人間に対する信頼のようなものを、強く感じないではいられないのです。

これは映画「キャピタリズム」でもそうでしたが、アメリカの保安官は、
単なる法の執行者ではなく、常に人間としての判断を優先している。
法を犯したものであっても、相手によっては注意だけして済ますこともあり、
日本のように、住民と親しくなるのを避けて転勤させるのではなく、
むしろ住民の生活まで理解して、親身に注意したりするのも共感できるのです。
悪事はたしかに裁かれなければなりませんが、何のために裁かれるのかと、
考えるなら、みんなが幸せになれる道を選ぼうとする精神があるのです。

たぶんこんな所にこそ、アメリカの自由と民主主義の精神は息づき、
今も人々の精神的な支柱として、大切な役割を果たしているのでしょう。
それに比べると戦後の日本人は、アメリカの合理化だけを取り入れて、
物事の良し悪しを自分で判断しない、精神的支柱のない人が増えたのでは?
もちろん、そうでないことを願ってはいるのですが・・・
 
 
アマゾンでの「フローズンリバー」購入は、↓こちらから。