放射能除去装置?
第1部、放射線と人体
3限の授業時間を使って、13:00~14:30
「放射線の基礎と人体への影響」
講師:近藤隆先生(医学研究部 放射線基礎医学講座)
「チェルノブイリ1986」
講師:モヴシュク・オレクサンダー先生(経済学部)
第2部、東日本大震災に学ぶ ー原子力立地政策の問題点ー
4限の授業時間を使って、14:45~16:15
映像資料:「六ヶ所村ラプソディ」の前半
「六ヶ所村の問題から学んでほしい事」
講師:磯辺文雄(自然農 富山県南砺市在住)
全体企画:小柳津英知先生(地域経済学)
新里泰孝先生(マクロ経済学)
僕がお話ししたのは、六ヶ所村の住民たちの変化で、
最初は再処理工場の建設に反対だった人が、どうして容認し、
やがて何も反対しなくなってしまうのか、そのカラクリです。
昨日このブログでお話ししたように、六ヶ所村の再処理工場建設は、
多くの原発と同じ、過疎地の経済振興や雇用対策として始まります。
そうした場所であれば、お金さえ出せば建設できる見通しで、
国策としての原子力推進を実現させる、ノウハウがあるのです。
最初は再処理工場の建設に反対だった人が、どうして容認し、
やがて何も反対しなくなってしまうのか、そのカラクリです。
昨日このブログでお話ししたように、六ヶ所村の再処理工場建設は、
多くの原発と同じ、過疎地の経済振興や雇用対策として始まります。
そうした場所であれば、お金さえ出せば建設できる見通しで、
国策としての原子力推進を実現させる、ノウハウがあるのです。
当初は、危険がわかればいつでも中止すると言っておいて、
ともかく建設さえ始めてしまえば、大量の雇用が実現できる。
そうして雇用された人たちは、本来の生活の糧であった、
農林漁業を捨てるので、誰かに雇ってもらわないと生活できない。
そこで再処理工場に雇ってもらう必要ができ、反対しなくなる。
さらに自分の子どもや親戚が、雇われるようになると、
周囲の人たちに遠慮して、反対しなくなってしまうのです。
そして再処理工場の稼働が始まってしまうと、あきらめてしまい、
安全ですと言う施設の説明を、疑っていても信じた振りをするのです。
社会経済の問題である原発や再処理工場を、技術の問題にすり替え、
一般市民には判断できない状況を作りだして、安全だと宣伝されれば、
危険を実証できない限り、政府や新聞テレビの説明を信じるしかない。
こうした非民主的な原発推進が、福島原発事故を引き起こし、
あらためて、半世紀に渡る国策を問いただす事になったのです。
僕の話は、いつもこのブログに書いているのと同じですが、
面白かったのは、医学部の近藤隆先生のお話でした。
専門的な見地から、放射線を正しく恐れる難しさを話されましたが、
そうした流れで、大気圏核実験が行われていた時代を振り返り、
当事いかに多くの放射能が、大気中にばらまかれたかを指摘されます。
そういえば僕が子どもだった時代に、放射能の雨が話題になり、
雨に濡れないように、注意された事も思い出しました。
大気圏核実験が禁止され、徐々に大気中の放射能は減りますが、
その後は原発や劣化ウラン弾による被曝が、世界中に広がります。
この放射能汚染を、どうにかして除去できないものか?
多くの人が研究と努力をしているのに、有効な方法がない。
福島の汚染地帯で放射能除去の話がありますが、あくまで除洗で、
放射能を消せるわけではない以上、どこかに溜めるしかないのです。
天文学的な経費をかけて、放射能汚染物質を移動するだけです。
僕なら、そうした解決策のない危険性を持つものは、
使わなければいいと思うのですが、経済利益優先の人たちは、
未来の人たちが解決してくれるだろう!と呑気なことを言って、
ついにはできもしない核燃料サイクル計画に、膨大な予算を使います。
出来もしないから夢の技術なのでしょうが、その意味では、
イスカンダル星から放射能除去装置を持ってくるのも、同じです。
日本の政治家は、宇宙戦艦ヤマトの世界で活躍すればいい。
今の日本の政財界のリーダーは、現実社会の政治を任せるには、
あまりにも無責任で、とんでもない人たちが多いように思うのです。
たしかにその政治家を選んでいるのは、僕ら市民ですが、
政治家はいつのまにか、嘘と約束の反故だけが上手になり、
利権企業の代理人に成り下がっているので、見分けにくいのです。
写真のコスモクリーナーDが、本稼働しなくていいように、
もっと自然界と命を大切にして、生きたいものです。