「愛の映画(香港からの贈りもの)」

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最近は韓国や中国の映画が、TUTAYAなどでも幅を利かせていますが、
僕は何年か前の韓流ブームさえ、あまり魅力を感じていなかったので、
多少の関心を持ちながらも、アジアの映画はほとんど見ていません。
そんな中で、まったく見ていなかった香港の映画がどんなものか、
何か参考書があれば読んでみて、それから映画を見てみようと思い、
読んだのが、川田耕さんの「愛の映画(香港からの贈りもの)」でした。

読み始めてみると、これは単なる映画解説の本とはまったく違うもので、
アジアの中でも特異な地位にある、香港という場所で産まれた映画を通して、
人間の愛とは何か、さらには人間とは何物なのかにまで言及する本でした。

著者の川田耕さんは、京都大学から大学院と進んだ文学博士ですが、
現在は京都学園大学経済学部の准教授で、専門は社会学とのこと。
近年は中国語圏の文化を研究されていると知れば、なるほどと思うほど、
今回読ませていただいた本には、香港の中国返還に伴う時代背景があって、
大きな時代の流れに翻弄された人々の姿が、色濃く映し出されています。
その生々しさは、日本人には必ずしも身近なものではないのですが、
川田さんが書く文章から、それが僕のように遠い人間にも伝わってくる。

本の構成は、香港の代表的な映画監督5人をそれぞれ解説する5章と、
その全体を見渡して、そこに成し遂げられたものが何であるか、
つまり人間の愛情とは何かを整理して書かれた、終章からなっています。

第1章 陳 果(怒り狂う)では、
  父(社会)への憤怒を通してその根元へ向かう『香港製造』から、
  やがて倒錯的な感覚へ落ちていく姿を描いた『人民公厠』まで、
  この映画監督の軌跡と共に、香港映画の流れの概要がわかります。

第2章 張艾嘉(待ち望む)では、
  台湾で生まれたこの映画監督の、人生そのものの紹介から始まって、
  父あるいは男性的なものの不在を表現する『20 30 40』など、
  理想的な父親像を模索した、一連の映画の紹介をしています。

第3章 許鞍華(這い上がる)では、
  望まれなかった妊娠と出産をテーマにして、初期の『瘋劫』から、
  一旦は大人たちへの怒りを表現しますが、それが母との和解を経て、
  父でもある男たちとの和解に至った『得閒炒飯』が軽妙で面白い。

第4章 關錦鵬(求め続ける)では、
  時代や体制といった受け入れがたいことを、どう受け入れるかが、
  主要なテーマですが、初期の『地下情』から近作『長恨歌』にかけて、
  人は何を大切にして生きているのかが、少しずつ明確になります。

第5章 張婉●←女ヘンに亭(生み出す)では、
  デビュー作『非法移民』で、国家権力に対して抵抗するのではなく、
  どうにもならない世界での排他的愛情を、美しく描きながら、
  男女の性さえも超えた、愛情世界の核心を描き続けているようです。

そして終章にいたり、川田さんは自分の主観で全体を捉え直し、
男女の愛憎や抵抗運動など、愛情の渇望から来ていることを指摘します。
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「人は愛されることに十分に恵まれていれば、
 それを空気のように当然のものとしてそこに安住して、
 その幸運をさほど自覚することはない。
 逆に、大なり小なり愛に不足があれば、
 それを認めることは自尊心を損ねる不快で不安なことであるが故に認めようとせず、
 少しでも己を守れるような、
 自分にとって都合のいい何らかの幻想にすがりつくこともある。」
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この言葉のあとにさらに続く洞察は、優れた指摘になっているのですが、
その意味を理解するには、第1章から5章までを読んでいる必要があります。
香港を中心に活躍する五人の映画監督と、その製作映画を紹介しながら、
この本では単なる映画に留まらず、その時代背景や地勢的要因を絡め、
最終的には、人間とは何か、人間の愛憎とは何かをうまく言い当てている。
読み終わって感じたことは、読み始める前とは大きく違って、
良い意味で裏切られた、実に読み応えのある本だったと思います。
 
 
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