「ユダ」

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幻冬舎ルネッサンスが、今年5月に電子出版として出した小説、
「ユダ」をいただいたので、さっそく読んでみました。
作品自体は、2008年の12月に単行本出版されたもので、
特に新作ではないのですが、僕自身は初めて読んだ作品です。
著者の晩夏さんは、なかなか教養深い人のようですが・・・

まずこの電子出版という形態ですが、すでに12年くらい昔、
僕は当事書いていた小説を、電子出版で販売したことがあります。
当事はビューアが限られており、PDFを使っただけなので、
現在のように簡単便利ではなかったのですが、興味深くはあった。
だけどまだパソコンでしか見られなかったので、不便であり、
誰の作品も、あまり売れることはなかったように思います。

それが数年前から、パームトップの携帯端末が増えたことで、
電子出版業界も急速に伸びてきたようですが、久しぶりに読んでも、
やはり紙に印刷した本のようには、親しみを感じないのは、
僕自身がすでに、古い人間になっているからでしょうか。
さらにこのデータ販売は、著作権の規制が厳格なので、
紙の本のように、読み終わったら人に譲ることができない。

いろいろ不満を感じながら、それでも読み始めてみたら、
内容は興味深く、書き方もこなれていて、すらすらと読める。
僕は携帯端末など持っていないので、パソコン読者だから、
寝る前に横になって読むことができないのは、辛いところでした。
それでも興味深かったのは、キリストとの関係におけるユダを、
単なる裏切り者ではなく、しっかり人間洞察されている内容です。

民族の歴史を背負った若者が、理想を持って社会に出たとき、
否応なく感じるのは、社会のあまりの複雑さと、自分の無力さです。
それはたぶんユダに限らず、まったく文化の違う僕らだって、
ユダと同じようにジレンマを感じ、無力感に苛まされることがある。
唯一の肉親であるハテナとの最後の会話で、背伸びしたユダは、
出来もしない夢を語りながら、それが自分を縛るのを感じている。

そして自らの存在を、社会的なものとしてつなぎ止めるのは、
ユダの場合は、エロイネという幼なじみの女性なのですが、
現実に立ち向かいながら、無力感に陥るユダを支え続けるのが、
この女性であって、イエスのように思想ではなかったのです。
思想など完全に挫折しているユダは、同じように放浪するイエスに、
もう一人の自分を見出したことで、人間とは何かが浮かび上がる。

同じ理想を追い求めながら、さらに深い絶望まで同じなのに、
エスは自分の生き方に確信があり、ユダには確信がない。
だからこそユダは、イエスを裏切ることで何かを確かめようとする。
どこにでもいそうな、理想に挫折する若者の姿を描きながら、
作者はあくまでも、人間の全体像を捉えようとしているところに、
この作品の味わいがあり、最後まで読み通す価値もある。

この内容が、どこまで事実に即したものかどうかは知らず、
エスの時代の詳細を知らない僕は、そのように読み終えました。
最後まで飽きずに読めたのは、内容に普遍性があるからでしょう。
電子出版の良し悪しを超えて、読んだ価値はありましたが、
あらためて、紙の本の良さを再確認することにもなりました。