「ツリー・オブ・ライフ」

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先日公開された「ツリー・オブ・ライフ」を見てきました。
今年のカンヌ映画祭で、パルムドール大賞を取った映画ですが、
この作品はそれ以上に、テレンス・マリックが監督したことで、
世界中で公開が待たれていた、その待望に値する映画でした。
と言っても、彼が監督した作品は過去に4本しかなく、
しかもデビュー作品は劇場未公開なので、実質3本しかない。

1978年の「天国の日々」、1998年の「シン・レッド・ライン」、
そして2005年の「ニュー・ワールド」だけなのに、
この監督は、多くの映画人に次作を期待されていたのです。
いったい何故、彼の作品は多くの映画人に支持されてきたのか?
今回の新作においても、その理由は明確に見て取ることができます。
それはうまく説明の及ばない、人間と自然との関係の捉え方で、
映画の持つ映像表現を最大に活かした、詩的表現にあります。

まず最初、この映画では簡単に物語が始まったあと、
ときどき主人公と家族の様子を、カットで挿入しながら、
生命の歴史、地球の歴史、壮大な宇宙の歴史まで表現します。
この時点で、観客は何を見ているのかわからなくなり、
だけど巧妙に、映画のテーマは追求されて行くのですが・・・

美しい映像詩の合間に、突然投げかけられる大きなテーマは、
「人間には二つの生き方がある
  一つは世俗に生き、もう一つは神に委ねる生き方」だと。
この時点では、なるほどとは思っても、何が言いたいかわからない。
真理を述べる言葉は、肉付けにより初めて心まで届くものだから、
僕らはその肉付けられた彫像を見るため、映画の後半を見るのです。

一組の夫婦と三人の子どもが、1950年代のアメリカで暮らす、
その日々を、長男の回想という形で美しく描いていきます。
純化して言えば、世俗的な父親と、神に委ねる母親の狭間で、
人と争うことを嫌う次男に対し、父の影響を強く受ける自分がいる。
父は息子たちを成功させたいと思うから、厳しくしつけようとしますが、
子どもたちは、厳しい父を恐れ、しかも嘘つきだと思っている。
そして同時に、そんな父に逆らえない母を蔑んだりもする。

父の言い方を真似て、母に逆らってみせるシーンなどは、
僕らが子どもの頃に一度はやったことで、成長の過程でもある。
だけど揺れ動く子供心は、父を蔑んだり、誇りに思ったり、
母を軽蔑したり、愛おしく抱きしめたりして日々を過ごしていく。
父が長期出張の時に、母と子どもたちが解放されて遊ぶシーンなど、
思わず笑ってしまったりもするのですが、全体によくわかる。

人間が成長する過程で、世俗的なものと神による寛容と、
二つのものが一人の子どもの心を悩ませ、反動で無茶もやる。
父は子どもたちに、社会で成功者になって欲しい一心で、
どうすれば勝者になれるかを、身をもって教え込もうと夢中になる。
母は子どもたちの心に気遣いながらも、父には逆らいきれない。
こんな、50年代にはありきたりの家族の中で、物語は進み、
やがて仕事に成功した長男が、当事を振り返って考えるのです。

だけど映画の中では、回想する長男が何を考えているかは、
表情の映像だけで、言葉は何一つないのにも説得力がありました。
人生を振り返るとき、いかなる言葉でも表現しきれないものがあり、
それは肯定したものも否定したものも、疑問に思ったあらゆることも、
受け入れるしかない寛容であり、それこそ地球の歴史であり、
宇宙の姿とも繋がって、人間の正体をありのままに見せるのです。

テレンス・マリック監督とは、いったい何者なのか?
あらためて経歴を見れば、彼は大学で哲学を学んだ人でもある。
やはり哲学抜きで人間を表現することはできないのだろうと、
もう一度原点の大切さを思い、表現としての映画の魅力を思いました。
もちろん、多くの人に見ていただきたい、お勧めの作品です。