「コクリコ坂から」

イメージ 1
 
宮崎駿が企画・脚本で、宮崎吾朗が監督をしたアニメ、
コクリコ坂から」を見てきました。
原作は少女漫画で、かなりの長編のようですが、
アニメでは内容を大きく端折って、説明もしません。
それでも内容が壊れていないのは、さすがに宮崎駿です。

今から50年ほど昔の、横浜が舞台になっていますが、
僕はその半分ほど昔に、何年か横浜に暮らしたことがあって、
山下公園や商店街の様子など、懐かしく思い出しました。
このアニメの時代とは、すでに町の様子も違っていましたが、
海を見下ろす坂道の様子など、面影はわかります。

内容的に、特に目新しいものがあるわけではなく、
当事のありふれた学園生活での、エピソードが描かれている。
その何気なさによって、見ている僕は自分なりに昔に戻り、
自分の中にある学生時代や、横浜での暮らしがごっちゃになって、
映画そのものが、懐かしい感じを醸し出して見えたのでしょう。

あえて言えば、血が繋がっていなくても絆の深い親子や、
学生運動の中で、社会に対する意識を培っていく、
個人と社会が緊密な時代の匂いが、色濃く漂う作品でした。
そうした体験は、少なからず自分の周りにもあったし、
今の時代にはない、人間の強い絆を懐かしく感じました。

だけど作品の内容と同じように心に残ったのは、
今では懐かしく思い出される、横浜の町の様子です。
僕は十年近く横浜に住んでいましたが、この舞台のように、
坂道の入り組んだ場所で、二階建ての古い洋館に住んでいた。
そんな町のあちこちを、自転車で走り回っていたのです。

横浜には、何か不思議な新しさと古さが同居して、
西洋と東洋が、それぞれ強く主張しながら渾然と一緒にある。
人々のファッションやセンスも、東京より横浜が好きで、
山手から本牧に掛けての、地形の入り組んだ町並みは、
この地域自体が、独特な雰囲気を持つものでした。

今では埋め立て地に取り囲まれた、港の見える丘あたりも、
当事は間近く海に囲まれて、船も行き交っていたはずで、
その面影は、僕が住んでいた頃にも色濃かったと思います。
僕はこの界隈で、小型船舶とダイビングのライセンスを取り、
クルージングヨットにも乗って、海を満喫していました。

映画を見ているうちに、僕の目には涙がたまってきて、
過去と現在が渾然一体としながら、幸せな気持ちが沸いてくる。
精一杯な思いで生き続ける、一人の人間としての人生は、
どこを思い出しても切ないもので、苦しみと幸せに満ちている。
今度もまた宮崎アニメに、すっかり嵌められたようでした。