新しい一歩のために

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ようやく霜の心配が無くなって、春の農作業の準備を始めています。
こうして自然の恩恵に浴しながら、食作りに体を動かしていると、
生きることの根元的な意味が、自然に湧き出してくるのを感じます。
福島県では、長年手塩に掛けて育んだ有機野菜が出荷できなくなって、
将来を悲観した農家の主人が自殺する、痛ましい事件が起きました。
それを風評被害で片づけようとするマスコミも、恥ずかしい限りですが、
僕らはこれから新しい一歩に向けて、考えておくべきことがあります。

昨日のETV特集では、福島第一原発から45キロ離れた三春町で、
寺の住職で作家の玄侑宗久さんが、ノンフィクション作家吉岡忍さんと、
今回の原発事故後の人々の苦悩がどんなものかを、話し合っていました。
原発から20~30キロ圏内という括りで、屋内避難と言われた人たちは、
政府やマスコミが「安全だ」という言葉を信じて、現地に留まっている。
吉岡さんが現地避難所へ、自分で放射線量を調べながら訪ねてみると、
高濃度の汚染が広がっていて、人々は危険な状態にあるとわかる。

自分が住み慣れた生活の場を、誰かに強制されて離れるのは辛いことで、
人類史においては、よほどの暴君や独裁者による横暴を証明する材料です。
それが今回は、事故を起こした原発のためにやむを得ず離れるのですが、
政府が避難勧告も出さないので、家族が内部でバラバラになっている。
子どもを中心とした若年層は、被曝の影響を受けやすいので避難するけど、
同居していた中高年層は、いまさら見知らぬ街で暮らしたくないから、
自宅待機程度で済むなら、しばらく待機してやがて戻りたいと思うのです。

いつ解除されるか見通しのない自宅待機では、これから生活がある人は、
留まりたくても生活できないし、まして幼子がいれば留まりたくない。
そこで家族はバラバラになり、高齢者だけが被災地に残ることになるのです。
事故の悲劇を、さらなる家族分散の悲劇にまで拡大させていることを、
政府は自覚しているのか、判断を疑問に思う現象が多々あります。
玄侑さんが指摘されていたとおり、原発周辺の風向きや地点毎の濃度など、
リアルタイムの情報もあまりに少なく、個人の判断材料にもならない。

自民、民主の政府は、★原発を安全だと言って推進してきた大罪の上に、
★事故が起きた場合の対策を何も持っていない、信じられないお粗末さで、
★起きた事故の状況を、リアルタイムに公表する能力すら持っておらず、
★安全のために最低限必要な、地域の詳細な放射線量や風向きさえ示せない。
★そこへ無期限の自宅待機で、家族をバラバラに分断させているのです。
そしてもう一方の大罪加担者であるマスコミは、新たなキャンペーンで、
「早く元通りの生活へ!」とか「一つになろう日本人」とか始めているけど、
この友達大作戦に、僕はあえて「おかしいだろう!」と言わせていただく。

何も変わらない元通りでは、また同じ過ちを繰り返すだけではないのか?
「変わろうニッポン!」とか「新しい生活を始めよう!」でないと、
この国は何度でも、コツコツ真面目に働く人たちの努力を木っ端微塵にする、
そんな体質を持っているのであり、これを改善しないと意味がないのです。
マスコミや広告業界の人たちは、人を扇動することばかりに長けて、
どこへ導くかの方向性は、専門外だからどうでもいいってことなのか?
大利権者はまたその陰に隠れ、頑張る人の密を吸い上げようとする。

大切なのは、今変わらなければ、日本はただの二流国家になるってこと。
経済利益や効率一辺倒で、全員同じ方向を向いて突き進むのではなく、
それぞれが多様な生き方をしながら、自主的に社会参画する必要がある。
右向け右で一斉に同じ方向へ動くのではなく、それぞれの人が自分で考え、
日本人本来の、幅広く個々の命と向き合う自然に近しい暮らしを取り戻せば、
この国は新しい時代に向けて、他国にはない可能性を示せるでしょう。
新しい時代に向けて、一丸ではなく、個々人の自立が必要なのです!

僕らは自分の意志で、そうしたいから被災地復興を応援するのであり、
マスコミ扇動の、国家一丸となって突き進んではいけないのです。
再び惑わされずに歩むには、こうした強い覚悟が必要だと感じています。