奇跡を抱きしめて

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この春に、原発災害のことばかり書いたけど、
本当に書きたかったのは、命萌える季節の喜び!
暖かくなった空気に誘われて、生き物が動き出し、
野にも山にも、眩しい光が溢れる季節の喜び!

 それなのに、放射能の悪魔が姿をあらわして、
 この先いつまで居座るのか、人々を懊悩させる。
 悪魔を操って、利益を得ようとした者たちは、
 口をつぐんで、どこかへ行方をくらませる。

一つ命として地上に生まれ、それぞれの奇跡を、
大切に生きた人たちが、蹂躙されて逃げ場もない。
何を食べるにも、水を飲むにも、息をするにも、
喜びの生が、不安の元になってしまったのだ。

 何故こんなことになったのか、と考えても、
 液晶パネルの良識ある人たちは、大丈夫だと言う。
 安全基準を超えた、汚染した水も空気も大丈夫、
 なんなら、安全基準を変えるから大丈夫だと。

東風に春を感じるどころか、不安が先立ち、
春雨を濡れて歩く風流は、危険な暴挙となった。
きれい所の美辞麗句で、甘い言葉に誘われて、
まんまと騙された人々が、悪魔の足元に垂れる。

 これから、何をどうすれば許されるのかと、
 焦燥に胸が塞がった人たちが、さまよい歩く。
 心が焼けただれて、いつかの広島を繰り返して、
 あてどなく「助けて!」とつぶやいて歩く。

すると、心の奥の深いところから一絞り、
やさしくて懐かしい、何者かの声が聞こえる。
おだやかな微笑みを見せて、手を差し伸べ、
奇跡の一つ命が、大切に抱きしめられる。

 喜びはいつも 自然にあるのだから
  惑わされずに 目覚めればいい