エンリケ・バリオスの「魔法の学校」

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ハリーポッターなどの魔法ものは、子どもっぽい感じがして読みませんが、
同じ子どもを主人公にしていても、「アミ 小さな宇宙人」は興味深く読みました。
その作家、エンリケバリオスが書いた「魔法の学校」を読む機会があったので、
さっそく読んでみたのですが、なかなか示唆に富んでいて面白かったです。
アミ・シリーズでは、大人世界の常識に配慮して童話風の書き方だったものを、
今回は正面から、~ホワイトマジック特別集中講座~ として世間の常識に対峙する。

第一章 魔法の学校へようこそ!
第二章 あなたはあなたの個人的な世界の神である!
第三章 ホワイトブラザーフッドへの誓い
第四章 七つの愛のレッスン
第五章 体を縛りつけている鎖の死
第六章 秘密の部屋
第七章 宇宙の魔法、奥義皆伝!

こんな感じで、それぞれ案内役が入り口の扉まで連れて行ってくれますが、
そこから先は、自分の意志で公案に答えて入らなくてはなりません。
ただし「公案」とは言っても、彼の思考はあくまでもキリスト教が土台なので、
モーゼの十戒」そのものが公案のように立ちふさがって、同時に道案内をします。
本の構成として、あるいはメッセージを伝える手順としてわかりやすくするため、
このようなステップアップ形式を取っているようですが、言っていることは、
全体に一貫して、「世界は自分が創っている」ことに目覚めなさい!ってことでした。

世界がどのようなものであるかは、諸個人が望んだとおりのものなので、
自分がどのような世界を望むのか、望むべき姿に向かって生きているかどうか?
これが人生において一番大切なことになってくる、と主張しているのです。
ネガティブな事を考えて生きていれば、ネガティブな世界を創出してしまうのが、
人間が持っている魔法的な、あるいは神的な要素であることを説明することで、
そうではない、愛に満ちた世界を望むことで「そうなる」ことを繰り返し話します。

人間は「本当だ」と信じることで、現実を創り出していることは知っていますが、
多くの場合、自分は自分の外側の力によって支配されている!と思い込んでもいる。
そうした一般常識による「縛り」を取り除かないと、自由に魔法が使えない!として、
この本では徹底して「外側からの影響」を排除しながら、内面の神を呼び覚まし、
自らがこの神と一体化することで、自由に魔法が使える人になる!と繰り返すのです。
原則的に同感しますが、いつも彼の話には疑問に感じることも出てきます。
それは、
「もしもあなたがこの世界のものを手に入れる能力がなかったら、
 この世界以外のものを手に入れることなどできやしない。
 まずは物質があなたに従うことを示して見せるんだ。」と言うところ。
生きていることの自由に目覚めて、自分が自分の世界の神だとわかってしまうと、
その視点では物質も自分に従いますが、この「示して見せる」とは誰に見せるのか?
自分以外の人には、あるいは同じ視点を持つ人以外には見てもらいようがないのでは?
と思うので、この表現はとてもナイーブに否定したくなるのです。

それでも、そうした細かい点を除けば、この本は多くの示唆を与えてくれます。
中でも一番の収穫は、知識が持つ本質的な罠、とでも言いましょうか、
僕らはなにげなく暮らしている生活の中で、無意識に多くの知識を抱えていますが、
これに疑問を持つことはあっても、否定することはとてつもなく難しいのです。
なぜなら、多くの人が何百年も掛けて築きあげた知識体系ですから、
これに疑いを持って否定するには、並大抵のことではできなくなっている。
うっかり誰かが真剣に取り組めば、その人は自分の人生をすり減らしてしまい、
たかだか百年の人生では、常識の否定さえ叶わず、新しい世界は望めるべくもない。

ところがただ一つだけ、そうした罠から抜け出す方法があるのです。
仏陀もモーゼもイエスもモハメッドも、偉大な宗教の創始者は皆そうしたように、
がんじがらめになっている知識や常識を「解脱」すればいい!って事なのです。
否定するのでも批判するのでもなく、脱ぎ捨てるかのように解き放ってしまえば、
そこに広がるのは、いつどこにあっても自然の一部としての自分でしかないのです。
彼は終始一貫してそのことを伝えようとして、この本も書いているようです。
そこのところが伝わって解脱できれば、奥義皆伝!って事なのでしょう。
 

エンリケバリオスの「魔法の学校」は、↓こちらから中身閲覧ができます。
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