「身体知」

イメージ 1
 
二人とも、以前にも面白くて読書感想を書いた、
内田樹さんと三砂ちづるさんが、対談された本ですから、
是非読んでみたいと思っていたら、友人が持っていました。
もちろんお借りして読みましたが、やっぱり面白い。
読み終わって思ったのは、この二人の対談って、
日本の大きな問題である、「教育」と「医療」について、
実にユニークで的確な視点をお持ちだと言うことです。

「教育」と「医療」に大きな問題があることは、
今に始まったことではなく、現代の産業化の副産物で、
イリイチが半世紀前に、すでに指摘していたことでもあります。
僕が最初にそれを知ったのは、1980年頃のことで、
「学校・医療・交通の神話」の山本哲士さんと知り合い、
直接イリイチの思想を教えていただいたのがきっかけでした。
それ以来、日本の事情は何も変わっていないのでしょう。

これは先の「1968」読後感想にも書いたことですが、
いわゆる〈展望のない学生運動〉を苦々しく思っていた僕は、
この数に勝る団塊の世代が作る時代を、疑ってみている。
そうかといって学生時代には、それ以上の考えに巡り会えず、
旅の生活を続ける中で知ったのが、山本哲士さんだったのです。
社会が目指す合理化に、人間性の喪失を感じていた僕に、
同じような危機感から、人間性復興を考えたイリイチ思想を教わり、
世界の広さと、人間性への信頼を取り戻した時期でした。

残念ながら世界の趨勢は、イリイチの警告とは関係なく、
経済拡大で、世界は取り返しのつかないまでに破壊されます。
貧富の格差を作るだけ作って、借金浸けの行政府を残して、
地球環境そのものを、過酷なものに変えてしまった産業社会は、
その方向転換にさえ、さらに経済を拡大しか思いつかない。
こうしたマスコミ主導の阿呆社会の中で、まともな神経の人は、
常識的な社会の価値観とは、違った価値観を世に問うことになる。
そうした人の中に、内田さんや三砂さんが位置するわけです。

えらく前置きが長くなりましたが、この本を読み終わって、
過去に読後感想を書いた、二人の本の内容を思い出していたら、
三砂さんは、現代の管理医療に対する人間性の快復を唱え、
内田さんは、現代の管理教育に対する人間性の復興を唱えている。
そう気が付いたら、この本の内容の個々のことはぶっ飛んで、
書かれた心だけが、凝縮して残った気がしているのです。

それでもいくつか、特徴的なお話を抜き出しておきますと、
内田さんよりは三砂さんの話に、惹かれることが多いですね。
例えば文化資本や環境で、子どもの将来が決まるとする社会に、
人間性の可能性とか資質は、
 私たちの想像できないところから来るのではないでしょうか」
と切り替えされるのも納得できますし、子育ての現場においては、
予算やサービスをいくら増やしても、縦割りで子どもを見ているから、
子どもには「継続して見守られている安心感」が失われている。
と言った発言など、納得できるものが多いのです。

内田さんの話としては、1960年頃を境にして、
それまで父親は、決まった時間に職場から家に帰っていたから、
父親は決して家にいない人ではなく、父と子の接触も多かった。
それが経済拡大によって収入が増えたけど、父は家にいない人になり、
出産も自宅より病院が増えて、家族が次第にバラバラになっていく。
こうした現象は辻褄合わせではなく、相互に繋がっているのでしょうし、
二人の話を読んでいると、その関係性が浮き上がって見えてきます。

最後にコミュニケーション能力に関して、とてもいいお話がありました。
人間のコミュニケーションは、決して言葉や会話だけのものではなく、
存在そのものが持っている「何か」を感応しあうことである!と。
これはもう本の言葉を写すのではなく、僕自身が理解したこととして、
触れあうことも、感じ合うことも、理解することも、全部含めて、
人間には全人的にやりとりできるコミュニケーション能力があることを、
お二人は共に共感しながら書いておられるのが、嬉しかったですね。
内田さんの「あとがき」もいいので、最後まで読むことをお勧めします。
 
 
内田樹さんと三砂ちづるさんの対談集、「身体知」は↓こちらから。