「結い」の精神?

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南砺市の「まちづくり条例」前文を文章化する集まりがありまして、
有志7人が協働課のスペースに集まり、2時間ほど議論をしました。
僕はこの条例が目指すものとして、持続可能な循環型社会を望みましたが、
僕以外の人は、この意味がわからないとのことで却下され、
「結い」の精神によるまちづくりをするとの文言が選ばれました。

「結い」の精神と言われても、僕には何のことかわからないのですが、
他の人はちゃんと意味がわかるようで、逆に持続可能な循環型社会では、
僕以外の人は意味がわからないと言われるので、これはもう仕方ありません。
世界の趨勢は、持続可能な循環型社会を目指すしかない状態で、
南砺市のような自然豊かな地域では、これこそ資産だと思うのですが、
あらためて南砺市では時期尚早だったと思うしかないようです。

こうした基本的な事項の勉強会を、今までも企画してきたのですが、
今年の春に講座の募集をしたときには、南砺市では二人しか希望者がなく、
結局は講座を開くことも出来なかった現状が、今思い出されます。
市民が主役のまちづくりですから、市民が望まないものは望むべくもなく、
僕は最初からつまづいて、立ち往生してしまった条例作りです。

とは言え、「結い」の精神であれば、皆さんが納得できるのなら、
僕がわからないからと言って、否定するようなことでもなく、
またしばらくは少し距離を置いて、皆さんの考えを聞くことにします。
砺波の時も高岡の時も、最初はなかなか受け入れてもらえなかった考えも、
やがては少しずつ理解していただいた経験もあり、話し続けることで、
理解されるのを待つしかないのが、実情というものでしょう。

正しいことよりも、みんなが幸せになることを選択したいので、
理解されない将来像をごり押しするつもりもなく、引き下がりました。
そもそもこうした議論に積極的に参加している理由が、少しでも多くの人が、
市民が主役のまちづくりに参加しやすいように、と思ってのことなので、
多くの人の意見がそれで纏まるなら、自分の意見は引いた方がいいでしょう。

なぜ最後まで自分の意見で闘わないのか?と言う人もいますが、
僕は最初から闘う気持ちなどなくて、意見が集約されることを望んでいます。
黙って座視していたわけではなく、思うところは発言しても通らなかった。
それなら静かに身を引いて、またいつかチャンスが巡ってくるのを待ち、
コツコツと学習会の企画などを、続けていくしかないのでしょう。
すでに長い間そのように生きてきて、今さら慌てることもないのですからね。
 

写真は、「結い」の精神を讃えていた安倍晋三さん。
http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2007/0301.html