「死ぬ覚悟」と「産む覚悟」

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僕が参加している、いくつかの市民活動の中で、
継続的に活発な活動をしている組織に、シャキットがあります。
正確な略称が『シャキット富山35』で、正確なフルネームは、
男女共同参画社会基本法ネットワークin富山」ですが、
その情報誌の編集が持ち回りで、今回発行の部は僕が編集担当です。

実際には、僕が沖縄へ行っていた時期に編集会議があって、
どんな紙面にするかは、数名の世話人に決めていただいたのですが、
それでも原稿の依頼やチェックは、僕も手伝って作業をしている。
そして小冊子最後のページで、編集後記も書かせていただきました。
内容として、なぜ女性参画が必要かを書いたのですが・・・

一部を抜粋すると、

富山県内の、あるいは日本の政治が閉塞状況に陥っている主因が、
 新しい価値観への転換がうまくできていないことだと思う故に、
 それを促す起爆剤が、女性的価値観にはあると信じるからです。
 経済効率ではなく、命を活かすための政治への転換に、
 女性の感性がもっと活かされるべきだと考えるからです。」

                        と書きました。

これは男性である僕が、なぜ女性の政治参画を求めるかをあらわし、
ノルウエーのように、制度としてのクオータ制を求める理由でもある。
男性的効率を求める価値観では、なぜダメになってしまったのか?
理由は様々にあるでしょうが、根底にあると思われるのが責任の取り方で、
男はせいぜい「死ぬ覚悟」くらいしかしないのに対して、
女は「産む覚悟」という、遙かに重い責任を引き受ける存在なのです。

死ぬ覚悟なんてのは暴力的であり、自分勝手で無責任でさえある。
それに比べれば、「産む覚悟」は自分の自由にならないことを引き受け、
未来に向けて、最善を尽くすことを覚悟するようなものでしょう。
こんな覚悟を当たり前にくぐり抜ける女性が、社会のリーダーとなって、
そろそろ、命に優しい社会作りを始めてもいい時代だと思うのです。