「邪悪なものの鎮め方」

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今年の夏旅中に読んだもう一冊の本は、内田樹さんの、
「邪悪なものの鎮め方」という、とても興味深い本でした。
この人のことは、今まで何も知らなかったのですが、
親しい人に勧められて読み始めてみると、これが面白い!
まずこの女子大の先生、質問されたことには何でも答える。

何でも答えられないと本物ではない、と思っている僕は、
この時点で共感するし、扱うテーマも大胆ではらはらする。

第一章 物語の方へ(邪悪なもののコスモロジー
第二章 邪悪なものの鎮め方(呪いと言祝ぎ)
第三章 正気と狂気のあいだ(霊的感受性の復権
第四章 まず隗より始めよ(遂行的予言集)
第五章 愛神愛隣(共生の時代に向かって)

内容構成も納得でき、著者と編集者の心も伝わるのですが、
実は読み始めてすぐには、大きな反発もありました。
例えば1970年の学生たちが、こぞって過激派になった?
かのような表現が、当たり前に書かれていたことへの反発で、
当時僕はまだ高校生でしたが、過激派には納得せず、
その後大学へ進学してからも、ずっと疑問に思っていたからです。

僕が入学した大学でも、学生運動の余波は続いていて、
授業よりも出席した放送研究会にも、多くの活動家が居ました。
しかし彼らの主張には、納得できないことが多かったので、
しばしば議論して、彼らを困らせていた記憶があります。
さらにはマイクを持ってジグザグデモの現場へ出掛け、
彼らに直接様々な質問をして、ここでもひどく嫌がられた。
結局ほとんどの人は、自分で判断できていなかったのです。

まあ最初は、そんな反発を持って読み始めたのですが、
読んでいくうちに、自分では考えつかなかったことも含め、
視点のユニークさに思わず頷きながら、先が楽しみになっていく。
アメリカの呪い」にある日本人の勝手な被害者意識も面白いし、
モラルハザードの構造」では、NHK職員の不正取引から、
現代日本人が失ったモラルに、どんな意味があるかが説明される。

こうした分析力は、小賢しい学説をいくら勉強しても出てこない、
ある種の大きな人間力が必要になってくる、と思うのですが、
それが何か示すのが、「そのうち役に立つかも」とか、
「蘇るマルクス」などに、うまい捻りを利かせて書いてあります。
さらに開き直る技も身につけて、「内向きで何か問題でも?」
と片眉を上げられちゃあ、まったくもって恐れ入るしかありません。

さてこの本も終盤に至って、皆さんに是非読んでいただきたい、
二つのお話が登場しますので、紹介しておきましょう。

それは「窮乏シフト」と「親密圏と家族」なのですが、
これらはどちらも、新しい若い人たちの生活価値観の話です。
内田さんの女子大で、新しく世の中へ出ていこうとする女性たちは、
かつての豊かさを追い求める姿勢から、自分が社会に何が出来るか?
自分たちより恵まれない人たちに、手を差し伸べたいと思い始めている。
つまり、今ある幸せを分かち合う方向へシフトし始めているってこと。
個人の自立を超えて、分けがたく共生する弱者の視点を持ち始めている、
この視点こそ、新しい社会を切り開く鍵になると思うのです。
 

内田樹さんの「邪悪なものの鎮め方」は、↓こちらから。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/486238160X?ie=UTF8&tag=isobehon-22