「人生の旅の目的地」

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病人を単なる臨床体とせずに、人間としてケアに重きを置く、
臨床スピリチュアルケアの第一人者、ウァルデマール・キッペスが、
先月出版した新著「人生の旅の目的地」を読みました。
副題には、「ときを生きる小さな試み集」とあって、
人生を豊かに生きるヒントが、60編収められています。

この人は元々牧師ですから、納められた話の多くは聖書がらみで、
実際の生活体験で感じたことを、聖書に照らし合わせて考えています。
エスの信者ではない僕は、教条的な話を用心して読みましたが、
彼の人間理解は、単なる教条的なものを大きく越えていました。

◆スピリットとは自分自身の核。
◆スピリチュアルライフとは、自分自身の核に基づいて生きること。
スピリチュアリティとは、自分自身が「信じている」事柄のことではなく、
 実際に生きて活動している人生観、世界観、哲学、信条、信仰のこと。

信じていると思い込んでいる事柄よりも、実際にどう生きているか?
僕が常日頃から問うている、生き方を重視して人生を見ているのです。
臨床というのは、多くの場合死を見詰める患者と向き合いますから、
上べっつらの「ごもっとも」な教えなど、心に届くものではないでしょう。
死に面した状況でも通じる真摯な人間の呼びかけが、この本にはあるのです。

60のエッセイには、それぞれ聖書からの引用があるのですが、
ただ引用するのではなく、現状との対比で痛烈な現代文明批判もしています。
例えばイエスが、神殿の境内で商売をする人たちを皆追い出して、
「わたしの家は祈りの家と呼ばれるべきなのに、強盗の巣にしている」
と言うのを引用し、日本人が「忙しい」ことを喜ぶ風潮を批判しています。

特に37章~47章にかけて、イエスが何を求めたかが書かれており、
権力と対峙し、信じる人を友とし、弱い人に自らを重ね合わせたイエスが、
最も身近な弟子たちにも心を妥協することなく、自らを貫いた姿が好きです。
僕らは現状社会で、なかなかそこまで強く生きることは出来ませんが、
そのように妥協なく生きた人がいた事実によって、強くなることが出来る。
今より少し勇気を出して、より一歩「善く生きる」ことができればいいのです。

キッベスは、まるで懺悔のように日常の罪を告白しながら、
そこから見えてくる人間の弱さに寄り添いながら、考えることを続ける。
この態度そのものは、イエスの信者でなくとも大切なことでしょうし、
大量の情報や知識よりも静寂を求め、静寂の中で自ら考える大切さを説く。
何事もまず自らのこととして考え、行動するところに共感できるのです。

この本は、3週間の沖縄旅行中に2冊読んだ本の一冊ですが、
マスコミやインターネットの情報を離れて、ゆっくり読むにいい本でした。
急いで読むよりも一ヶ月は掛けて、ゆっくり読むと良さそうです。
 

ウァルデマール・キッペスの「人生の旅の目的地」は、↓こちらから。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4900354937?ie=UTF8&tag=isobehon-22