祈りから始まること
今回の沖縄滞在で、ダブルレインボーの翌日から三日間、
天気予報にもなかったような、激しい雨が降り続きました。
雨さえ降らなければ、海に潜るつもりだった僕たちは、
潜る三点セットを持って、海岸の岩場基地へ行ったまま、
雨が冷たく風が寒くて、泳ぐどころの話ではなくなりました。
真夏の南の島で、寒さに震えてゴザにくるまった写真が左。
天気予報にもなかったような、激しい雨が降り続きました。
雨さえ降らなければ、海に潜るつもりだった僕たちは、
潜る三点セットを持って、海岸の岩場基地へ行ったまま、
雨が冷たく風が寒くて、泳ぐどころの話ではなくなりました。
真夏の南の島で、寒さに震えてゴザにくるまった写真が左。
こんなに寒い夏は、30年以上来ていて始めてかも知れません。
海へ入るのを諦めて、島内の主立った景観地を見て回ることにし、
聖地を見つけては、手を合わせて天気の回復を祈りました。
中の写真はその一つで、川平のウタキを訪れたときのものです。
さらに宿に戻ると、てるてる坊主を作ることになりますが、
三つ目のてるてる坊主は、願い事を書いた紙を丸めて作りました。
この願い事は、それまでとは少し違って具体的なこととし、
平和や美しい地球のイメージと共に、快晴の海、大型魚、ウミガメ、
無人島上陸の様子や、アルクトゥルス、ベガやスピカ、蠍座など、
見たい、見せたいと思いながら、実現していないことを並べました。
僕が見せたいと思ったものを、彼女が見たいと祈ったときから、
僕の願いは彼女の願いと同じになって、ある変化が生まれたのです。
願い事のシンクロが共通した祈りとして、世界を彩り始めます。
祈りは常に、何事かの望みを神に明示することで始まります。
快晴の珊瑚礁で、差し込む光に美しく輝く、命ある珊瑚の群れ!
大きな魚や小さな魚が、それぞれの命を存分に発揮して生きる世界で、
優々と泳ぎわたるウミガメの様子や、リーフエッジの深遠な藍色!
そして夜には満月が君臨し、居待ち月の頃には夜空一杯に星が広がる。
蠍座の隣に居座った蛇遣いの後ろには、くっきりと見える銀河の姿!
三日間の雨で、空までが洗い清められたかのような美しさでした。
僕らが祈らなくても、晴れた海は美しく、雲のない夜空は美しい。
だけど祈ることによって、それらには特別な意味が付与されて、
僕ら人間と自然界の、創造の契りが交わされると知らされました。
僕らを取り巻く世界は、全てを含んだ広大な海のようなもので、
そのまっただ中で、祈ることで自分の居場所が定まっていく。
祈ることで、自分が何者かの取っ掛かりが出来ていくと知ったのです。
次々に叶う願い事の最後は、美しい朝焼けの姿となって現れ、
僕らは早朝からの一時間以上、浜に座してその暁光に見とれました。
この一連の、雨による浄化、祈りによる明示、踏み出す勇気を得て、
常識では考えられなかったことが、次々に目の前に現れたのです。
願い事を祈り、それに向けて一歩を踏み出して、全てが現れたのです。
様々な具体的なことがあり、叶わなかった願いも有りはしますが・・・
どんなに叶わなかったことも、祈りから全てが始まりました。
海岸での果てしないゴミ拾いは、実は自然農そのものの姿だと気付き、
これに関わる人を一人でも多く増やすために、地元の人に相談、
もしかすると、一つのイベントが生まれる可能性も出てきました。
一人のゴミ拾いも一人の自然農も、それだけでは世界は変わりませんが、
みんながゴミ拾いをすれば、世界中からポイ捨てゴミはなくなりますし、
みんなが自然農をすれば、世界中のエネルギー問題はなくなるのです。
どんな立派な議論や講演よりも、まず自らがどうあるべきかを考える。
どうありたいかの願いを祈りとして捧げ、共感する人を得るとき、
理屈ではない大きな力が動き出して、願い事は叶い始めるのです。
明確な祈りと、共感者の獲得こそ、あらゆる祈りの根元的な姿であり、
全てはそこから始まり、様々な物事があらしめられて世界が出来ます。
僕らは命ある限り、自由自在に自分を生きることが本分ですから、
何一つ恐れるものはなく、何一つ叶わない願いはないのです。