「戦国武将ゆかりめぐり旅・政宗公と幸村公」

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戦国の武将で誰が好きかと言えば、
歴史に疎い僕は、真田幸村を思い挙げる。
子どもの頃に、猿飛佐助、霧隠才蔵根津甚八など、
真田十勇士を家臣に持った武将として覚え、
後にこの話が、元禄時代から明治時代にかけて、
講談で人気を得た物語に過ぎないと知ってからも、
確かに歴史上の人物である真田幸村には、関心があった。

とは言え、真田幸村に関する本など読んだことはなく、
長い間、ほとんど何も知らないままだったのですが、
今回はもう一人の気になる武将、伊達政宗と合わせて、
きれいな写真が満載の本として出たので、読んでみました。
「戦国武将ゆかりめぐり旅・政宗公と幸村公」
と長い題名の本ですが、内容的にはそのまんまの本です。

昨今の武将ブームで、ゆかりの地を訪ねる旅が、
若い女性に人気が出ている、とも聞いていますから、
これはそうした人たちをターゲットにした本でしょうか。
著者は、プロジェ・ド・ランディとなっていて、
個人ではなく、夫が文と編集で、妻が写真とイラスト、
この二人で、すでに何冊か本を出されているようです。

政宗と幸村を一冊の本に扱ったのは、同じ戦国時代に、
どちらも勇猛果敢に、活躍した武将だからなのでしょうが、
実は思わぬ繋がりがあったことを、この本で知りました。
本を読み進むと、前半は幸村の生涯が書かれていて、
後半には政宗の生涯が、それぞれ活躍した年代も明確です。
そのわずかな接点が、ある深い縁を呼び起こして、
思わぬ深い感動を覚えたことを、ご紹介したいのです。

幸村に関しては、上田に近い千曲川沿いに居城があって、
長野県には住んだこともある、縁のある僕としては、
親近感があるのは、当たり前のことかも知れません。
この地は、武田信玄上杉謙信の戦いにも影響されて、
やがては徳川と豊臣の戦いにも、翻弄される時代ですから、
血筋を守るため、兄弟が別の君主に使えたりもした。
そして幸村自身は、秀でた武将として名を馳せながら、
1615年5月7日に、家康本陣に突撃して死んでいる。

その前日の5月6日、幸村は政宗と道明寺の戦いで交わり、
幸村は圧倒的な軍勢だった政宗軍を退けているのです。
そしてその夜に何があったのかを、この本は書いています。
これが為に、この本は作られることになったのでしょう。
僕は深い感動で、この先を読み進まずにはいられませんでした。
本の本文としては最後の3ページだけなのですが、
この3ページにある文と写真が、本全体の世界を広げます。

「人は死して後も親しい者と寄り添っていたいと思い、
 ひとつの墓のそばにはまたひとつまたひとつと墓が出来る。
 魂はそんなふうに集まって、死後の安堵を得るのだろう。」
政宗の乳母「喜多」の墓から始まった、忠臣片倉家の墓地に、
幸村とその娘の墓があることから、この本の物語が生まれ、
僕らに「人間とは何か」への信頼を伝えてくれているのです。
 

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