「ノルウェーを変えた 髭のノラ」
今年9月5日に催される、Eフェスタ・メインイベントに、
三井マリ子さんをお呼びして、講演していただくことが決まり、
彼女が先月25日に、明石書店から出された本を読んでみました。
「ノルウェーを変えた髭のノラ(男女平等社会はこうしてできた)」
と題された本は、主にノルウェーの政治事情を紹介することで、
必然的に、日本の政治社会の男女不平等さが見えてきます。
三井マリ子さんをお呼びして、講演していただくことが決まり、
彼女が先月25日に、明石書店から出された本を読んでみました。
「ノルウェーを変えた髭のノラ(男女平等社会はこうしてできた)」
と題された本は、主にノルウェーの政治事情を紹介することで、
必然的に、日本の政治社会の男女不平等さが見えてきます。
なにしろ日本は、女性差別撤廃条約選択議定書さえ批准できない、
世界に冠たる女性差別国なのですが、さらに不思議なことには、
男女平等推進を担っているはずの、行政の一部の担当者でさえ、
日本は男女平等になっている国だと、平気で発言していたりする。
これはもう、男女平等の何たるかも勘違いしている人が、
他者よりも高い地位を得て、差別側にいるから被差別がわからない、
典型的な差別構造に、どっぷり浸かっているとしか言えません。
ノルウェーではとっくに解決済みの、当たり前のテーマが、
日本ではいまだに抵抗が強く、女性は圧倒的に不利な立場にいる。
先日も、選択的夫婦別姓の権利を否定するビラが大政党で配られて、
「長い物には巻かれろ」って、日本の政治事情が露呈したばかりです。
いつになれば、日本人の人権は守られるようになるのでしょうか?
僕が訴えたいのは、男女平等など当たり前になった、さらにその先、
多様な価値観を当然とした上での、社会が目指す方向性の問題なのに、
はるか前段階の足踏みで、問題はまだ問題にもなっていません。
男性である僕が、なぜ男女平等推進に関わっているかと言えば、
僕は学生時代から一貫して、自由な生き方を求めてきたのですが、
多様な価値観で自由に生きる人たちを、身近に見て暮らしていると、
日本の政治行政が、いかに硬直して人間的でないかがよくわかる。
この柔軟性の喪失をもたらしているのが、男性的合理性によるもので、
「経済発展」のような固定目標を実現するには適していても、
多様な価値観を受け入れて調整するには、向いていないのです。
したがってこれからの時代には、硬直した男性的合理化だけでなく、
柔軟な女性的価値観を加えた、新しい社会の建設が必要なのです。
それでは、国連で差別撤廃条約が発効してから30年経っても、
いまだに批准できない差別国日本で、どうすれば差別をなくせるか?
三井さんはノルウェーの例から、政治クオータ制の必要を訴えます。
僕はこの問題に関しては、たかだか5年ほどしか関わっていませんが、
それでも硬直した政治行政を変えるには、革新的制度が必要と考えます。
女性が男性的価値観を受け入れないと、管理職になれないような、
偏った管理職登用制度自体を、変えていく必要があるのは間違いなく、
それには確かに、クオータ制は大きな力を持つと思われるのです。
さてしかし、日本の権力構造はなかなかしぶとく狡猾なので、
三井さんの本を読んだだけでは、クオータ制の有効性はわかっても、
どうすればこれを実現できるかの、ノウハウまではわかりません。
実現するまでの道程こそ、民主主義が問われるのだとすれば、
男女平等は、人権と同時に、民主政治の試金石なのかも知れません。
日本が民主国家になれるのかどうか、まずは市民の自覚の問題です。