「ラブリーボーン」

イメージ 1

あまりヒットしなかった映画ですが、
指輪物語」の監督が映像化した死後の世界!
これを見てみたくて、映画館まで足を運んでみました。
死後の世界を描くのは、実写のロケと違って、
人の内面世界が、そのまま反映されるからです。

主人公は14歳で殺されたスージー・サーモンで、
この映画は、殺された彼女の視点を通して、
現実世界と天国の中間点のようなものを描き出します。
非現実的ないくつものシーンは、草原に立つ巨木だったり、
季節が隣り合う海辺の風景だったりと忙しいのですが、
天国でなく現実でもないところが、なんとなく落ち着かない。

彼女はなぜ天国へ行かずに、何年も中間地点に留まったのか。
死んだ人がすぐに天国へ行かない理由は、多くの場合、
この世界に強く未練があって、留まることになっています。
この作品でも例外ではなく、彼女には一つの未練がある。
それは初めての彼氏との、幸せなキスなのです。

彼女はなかなか、現実世界との接点を持てないのですが、
父親を通しては、わずかに自分の存在を示せることになる。
ところがそれが原因で、父親はとんでもないことをしてしまい、
殺されそうな大けがをしたことで、そこを去る決心をする。
そこでどうしても未練だった、彼氏とのキスを実現する。
このあたり、彼氏の心理描写があまりにも都合よしなので、
スージーの願望と理解するしかなさそうですけどね。

全体に何かバラバラな感じがあって、まとまりに欠ける。
例えば「クラッシュ」や「バベル」の映画を見た時は、
世界中でバラバラに起きている様々なことが、ある時突然、
全部繋がって見えてしまう、深い感動を覚えたのですが、
今回の映画にはそれがなく、大胆な仮想世界が生きていない。
それでもこの映画を取り上げた理由は、やはり特殊映像世界です。

すでにバーチャルリアリティな映像の拠点となって、
世界中の映画製作者を集めている、ニュージーランドは、
ハリウッド、アメリカの衰退を象徴する拠点でもあるのですが、
そこで描かれる、心の世界の映像がどのようなものになるか?
これは新しい世界が見る“夢の姿”を予言すると思ったのです。

さて、実はこれが何だったのかは、見終わってもわからない。
例えば「パイレーツ・オブ・カリビアン」などの映画では、
縦横無尽に、現実世界と死後の世界が交わっていたりするけど、
仏教徒である僕にも、違和感なく理解される感覚でした。
ところが「ラブリーボーン」の中間地点は、何と言っていいか、
宗教感覚が無さ過ぎて、心の落ち着きどころが難しいのです。

“宗教感覚のない愛情”で世界を見るときの限界というか、
父娘の繋がりは強く感じても、それ以上に世界への広がりがない。
これがまだ、今の新しい世界が抱えている姿かと思ったのです。
時代こそが、愛情以外の繋がりを見失っているのではないかと!

世界中にある、宗教によるトラブルを避けたいがために、
人類が培ってきた、深い宗教感覚を捨ててしまうのだとしたら、
それはあまりにも大きな、遺産の放棄になるだろうと思ったのです。