「キャピタリズム」

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マイケル・ムーアの映画「キャピタリズム」は、
去年から早く観たいと思っていながら、なかなか行けず、
気が付いたら昨日が最終日で、あわてて見に行きました。
富山県では、東京や大阪よりも一ヶ月遅れの公開で、
しかもやや遠い、ファボーレだけの上映だったので、
雪の多いこの季節には、なかなか足が遠かったのです。

一日一回だけの最終上映に、なんとか時間を合わせ、
割り引きもない料金で見ましたが、その価値はありました。
彼は民主主義と資本主義の違いを明確にしながら、
第二次大戦中に、多くのアメリカ人が思い描いた社会が、
現代において、まったく実現していない原因を探っていく。
そして大きな一因として、80年代のレーガン時代に、
政府が金融機関のいいなりになって行ったことを示します。

それまで安定して経営されていた工場や企業が、
金融投機の対象になって、突然売りに出され閉鎖される。
あるいは運営能力のない所有者によって、倒産してしまう。
個人の利益ばかりを追求するマネー・ゲームによって、
より多くの人々のニーズや公共性は、無視されていく社会。
やがて90年代には、ゴールドマン・サックスの一味が、
政府の金融政策を決定する地位を独占し、加速して、
ほとんど犯罪行為と思われる、過剰な金融投機が起きる。

驚いたのはこの当時、アメリFBIも調査に乗り出して、
大掛かりな金融犯罪として、摘発する準備を整えていたのです。
ところがそこへ、ブッシュが大統領に当選してしまうと、
9.11事件が起きて、金融犯罪摘発の担当捜査官たちが一斉に、
テロ捜査に異動されて、金融犯罪の摘発は消えてしまいます。
こうして政府主導による金融犯罪は、テロ戦争の陰に隠れ、
世界一だったアメリカの富を、一部の人間が独占したのです。
テロも戦争も、富集約のシナリオ通りに演出されたものだった?

さらに驚くべきは、こうして富を吸いあげる利権者たちは、
いよいよオバマの登場によって、政権や政策が変わると読むと、
膨大な利益吸収機関となっていた金融メジャーを一気に破綻させ、
その後始末に税金を使わせて、自分たちは身を引いたのです。
あとに残ったのは、世界中の富を独占した1%の富裕層と、
ローンだけを背負って絶望的な、圧倒的多数の貧しい人々です。
こんな茶番がまかり通ったのは、かつてはアメリカの良心だった、
ジャーナリズムが、企業マスコミによって潰されたからでしょうか。

これだけではあまりにも絶望的な、アメリカの政治経済ですが、
マイケルは、希望と思われるいくつかの事例も紹介します。
例えば金融操作で潰れた工場で、工場労働者が集まって権利を守り、
住み慣れた家を追い出された家族が、家に戻って暮らしている。
これらは法的に違法の場合も、担当当事者は必ずしも取り締まらず、
自らの人間的な判断で、黙って見逃したりするのです。
法律の方がおかしいと思えば、自らの良心として従わない。
こんなところに、アメリカ人の独立心が息づいているのでしょう。

さてさて、いくつか知らなかったことも明らかにしているし、
今回の金融危機や経済危機の正体を、利権集団の演出と見抜き、
これだけの内容でまとめ上げた映画ですが、興行はパッとしない。
日本は多少事情が違うとしても、似たような状況は確かにあり、
結果として貧富差の拡大が広がっていることは、周知の通りです。
だけど日本でもアメリカでも、マスコミは決して、
問題の原因を資本主義とは考えずに、政府の政策程度にする。
おかげでまた財政出動だけが増えて、貧富の差はさらに広がる。

「ザ・コーポレーション」「ザ・バンク」「アボン(小さい家)」
そして今回の「キャピタリズム」など、いくつもの映画によって、
金融マネーが孕む問題の大きさは、指摘され続けています。
しかし政府もマスコミも、利権を守る側に近いわけですから、
これを解決するには、市民の意識が変わるしかないのでしょう。
アメリカでは独立心が市民を救うなら、日本ではもしかして、
横の繋がりを大切にする庶民意識が、一つの鍵になるのかも・・・