半額総菜
昨日は昼前に食事をして外出したあと、
ずっと外で用事をして、終わったのが9時過ぎでした。
高岡にいたので、家に帰ると10時になります。
それから食事を作る気にもなれないので、
イオンに寄って、半額総菜を探してみました。
時間が遅いので、種類は少なかったのですが、
それでもいろいろ、選ぶことは出来たので、
思わずあれこれ、8品ほどを買ってしまいました。
昨夜のうちに食べたのが、
カツオのたたき、サバの味噌煮、細巻セット、中華野菜、
これに朝の残りの味噌汁と、切り餅を焼いて食べました。
残った写真の4品は、今日これからいただきます。
東京や横浜で暮らしていた頃には、
会社の食堂か、外食か、コンビニ弁当ばかりで、
たまにスーパーで総菜を買うのも面倒だったのに、
今では毎日、必ず何か自炊して食べている。
米や野菜など、食材から自分で作るようになると、
本当に美味しいのは、自分たちで作ったものだとわかる。
食事を味わうとは、人生を味わうことでもあるのです。
去年の正月、自然農を新聞で取り上げてもらったとき、
普段は自分が自然農で作った安心なものを食べているので、
それ以外の食べ物に多少不安があっても、
総合的には心配ないで済む!なんて発言をしました。
実際に都会暮らしでボロボロになっていた僕の体は、
今ではすっかり自然体で、快適になったのです。
金銭的には、まったくの貧乏生活なのですが、
本当に欲しいものは、おカネでは買えないと知り、
今は少ないお金で、自由に暮らしている。
古くなってはいても、親が家を残してくれたので、
家賃を払わなくて良いのも、ありがたいことでしょう。
外食はしなくても、たまには仲間で料理を持ち寄ったり、
帰宅が遅くなる時は、半額総菜もあるわけです。
それでもおカネは、たくさんあった方が良い、
そう思う人は多いでしょうが、僕はそうは思いません。
人が社会生活をして生きていく上で、おカネは必要ですが、
おカネは少なく暮らせるのが、豊かな命の証であって、
大きなおカネは、環境破壊と貧富の拡大にしか役立たない。
命が共生する社会には、小さな循環経済が似合うのです。
ずっと外で用事をして、終わったのが9時過ぎでした。
高岡にいたので、家に帰ると10時になります。
それから食事を作る気にもなれないので、
イオンに寄って、半額総菜を探してみました。
時間が遅いので、種類は少なかったのですが、
それでもいろいろ、選ぶことは出来たので、
思わずあれこれ、8品ほどを買ってしまいました。
昨夜のうちに食べたのが、
カツオのたたき、サバの味噌煮、細巻セット、中華野菜、
これに朝の残りの味噌汁と、切り餅を焼いて食べました。
残った写真の4品は、今日これからいただきます。
東京や横浜で暮らしていた頃には、
会社の食堂か、外食か、コンビニ弁当ばかりで、
たまにスーパーで総菜を買うのも面倒だったのに、
今では毎日、必ず何か自炊して食べている。
米や野菜など、食材から自分で作るようになると、
本当に美味しいのは、自分たちで作ったものだとわかる。
食事を味わうとは、人生を味わうことでもあるのです。
去年の正月、自然農を新聞で取り上げてもらったとき、
普段は自分が自然農で作った安心なものを食べているので、
それ以外の食べ物に多少不安があっても、
総合的には心配ないで済む!なんて発言をしました。
実際に都会暮らしでボロボロになっていた僕の体は、
今ではすっかり自然体で、快適になったのです。
金銭的には、まったくの貧乏生活なのですが、
本当に欲しいものは、おカネでは買えないと知り、
今は少ないお金で、自由に暮らしている。
古くなってはいても、親が家を残してくれたので、
家賃を払わなくて良いのも、ありがたいことでしょう。
外食はしなくても、たまには仲間で料理を持ち寄ったり、
帰宅が遅くなる時は、半額総菜もあるわけです。
それでもおカネは、たくさんあった方が良い、
そう思う人は多いでしょうが、僕はそうは思いません。
人が社会生活をして生きていく上で、おカネは必要ですが、
おカネは少なく暮らせるのが、豊かな命の証であって、
大きなおカネは、環境破壊と貧富の拡大にしか役立たない。
命が共生する社会には、小さな循環経済が似合うのです。