「原子力文化」と「サステナ」

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昨日は、シャキット主催の県議会ネットに向けて、
事前に勉強会をする集まりがあって、出掛けましたが、
時間を間違えて、4時間も早く行ってしまいました。
仕方なく、同じ建物内にある図書館に居座って、
原子力文化」と「サステナ」を読みました。

何か原子力の、新しい情報でも読みたいと思って、
原子力文化」を読むのですが、不思議にこの本は、
原子力関係の話は、あまり書かれてはいません。
いわゆる総合雑誌的な、教養小冊子でしかないので、
発行元の財団法人「日本原子力文化振興財団」は、
ただの天下り利権集団なのだろう、と推測されます。

それに比べて「サステナ」は、時代のニーズであり、
サスティナビリティ学連携研究機構による、季刊誌で、
熱心な学識者による、内容の濃い記事が載っています。
今回も「循環型社会の目指すべき姿とは」と題して、
大阪大学北海道大学東京大学京都大学から、
8人の研究者が出席した、座談会が紹介されていました。

(1)低炭素社会、(2)循環型社会、(3)自然共生社会
この三つを実現することで、持続可能な社会を作ろうとし、
サスティナビリティ学の確立を目指す、学識者たちの本ですから、
実生活性はともかく、理論的に興味深いことが書かれています。

例えば北海道大学で、環境経済学教授の吉田文和さんは、
「資源やエネルギーの消費を拡大しながらのリサイクルでは、
 いくらやっても環境負荷は減らないので、持続可能ではない。
 だけど経済が縮小すれば金属価格の下落などによって、
 リサイクルのインフラ設備が維持できない」として、
現在のリサイクル産業が抱える、根本的な矛盾を指摘します。

同じ北海道大学で、根圏環境学教授の大崎満さんは、
「この百年間に進んだ、大量の化学肥料投入や機械化によって、
 世界中の農地は劣悪化しており、生態系が破壊されていること。
 これを改め、自然による食とエネルギーの自給率を上げることは、
 国の安全保障にとって最大の課題になりつつある」と指摘します。
実際にドイツ、デンマーク、スエーデンでは国策がそうですし、
僕らが自然農を始めたのも、無関係ではないでしょう。

京都大学環境経済学教授の、植田和弘さんによれば、
もともと「循環型社会」という発想自体、日本で生まれたもので、
大量に出始めた廃棄物処理の問題から、廃棄物を出さない社会を求め、
この循環型社会の発想が出てきたのだと、指摘されていました。
いわゆる日本中で問題になっている、ゴミ問題のことでしょうが、
インドなどでは、こんなゴミ自体ほとんど出ていないようで、
日本の環境技術が、必ずしも世界で役立たない理由でもあります。

こうして見えてくる、持続可能な社会への道筋とは、
何でもリサイクルすればいい、というものとはまったく違い、
いかにして枯渇資源やエネルギーを使わずに、生活の質を高めるか?
こうした発想から、社会的価値観の転換までもが必要となるのです。
例えば現在の多くのシーンで行われている、合理化というものは、
エネルギーと資源を使って、人を減らす方向で進んでいるわけですが、
これも価値観転換で、人を増やしてもエネルギー資源消費を減らす!

今まで費用計算されなかったCO2排出も、経費として捉えれば、
機械化でCO2経費を増やすのと、人を雇って人件費を増やすのと、
どちらがいいかの選択になり、雇用も確保されていくと考えられます。
こうした発想が出来れば、それに合わせた社会システム作りは可能で、
あとは既得権益にしがみつく人たちを、どう未来志向にしていくか、
ここで初めて、政治思想の問題になってくることでしょう。