「差別と日本人」

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小泉政権時代に、すでに引退しているとは言え、
日本の政治家としては最も信頼できた、野中広務さんと、
自らのミッションとして「多様性」を主張される辛淑玉さんが、
「差別と日本人」と題した本を出されているのを見て、
なにげなく読み始めたら、止まらなくなってしまいました。

昨日は、阪神淡路大震災から15年目ということで、
このところマスコミでは、数多くの特集記事や番組がありました。
僕もそれらの番組をいくつかを見て、涙したのも事実ですが、
そんなテレビや新聞では決して言わない話が、この本には出ている。
あの震災の時に、なぜ長田地区の被害が大きかったのかは、
そこが今では存在しないことになっている、被差別民地域だったから、
町が脆弱にできていたのではないかと言うのです。

僕自身は、今まで誰も差別した覚えがないかと自問すれば、
子どもの頃から様々な差別意識があったことは、間違いありません。
小学生の頃には、学業成績の悪い子や生活の貧しい子を見ると、
口には出さなくても、妙な優越感を感じていた気がするし、
若い頃は、無意識にアジアの人々を蔑んでいた気がしないでもない。
まだ判断力もない子どもに、そう思いこませる何かがあった。

学校では韓国や中国の情報は少なく、欧米の価値を過大に教わるから、
実際に中国や韓国からの留学生と知り合って、話をすると、
自分が歴史を知らないことに、愕然としたのを覚えています。
そして横浜で暮らしていた頃に、ある坂道の記憶として、
関東大震災の時に、大勢の朝鮮人がリンチで殺されたと聞きました。
その話の記憶が、当時自治大臣国家公安委員長だった野中さんにも、
真っ先に思い出され、それは辛さんにおいても同じだったようです。

野中さんと辛さんは、日本人に残虐性を感じていたのでしょう。
幸い当時警察庁長官だった國松孝次さんが、兵庫の事情を知っていて、
関東大震災の二の舞は絶対にしてはいけない」と徹底して指導し、
そのようなことは起きずに、市民は部落も在日もなく助け合った。
部落だった故にお風呂が無くて銭湯があったから、それを解放して、
被差別の人たちから、不安を超えて助け合いを実践している。

この大震災は、市民ボランティアが活躍した最初だったとして、
それ以降の災害時からは、多くのボランティアが活躍し始めました。
と同時に、もしかしたら、この大震災での助け合いが契機となって、
日本人の差別意識は、大きく転換したのではないかと思いました。
実際その後に韓琉ブームが起き、中国との交流も盛んになったし、
相変わらず被差別民を必要とする層が、いることは事実だとしても、
少なくとも市民レベルでは、差別意識は薄らいでいった。

当事者と思っていない僕なんかは、すっかり忘れてしまって、
いまどき日本で差別なんてあるのだろうか?と思ったりするけど、
この本を読んでいると、どうやらそんな簡単なことではないらしい。
野中さんが国政の中枢にいた頃には、彼が汚れ役になって、
多くの戦後処理や人権擁護が進んだようですが、今はどうなのか・・・



野中広務さんと辛淑玉さんの「差別と日本人」は、↓こちらから見られます。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4047101931?ie=UTF8&tag=isobehon-22