「 19分間 」

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もしかすると、今アメリカでもっとも売れている作家、
ジョディ・ピコーの「19分間」上・下を読み終えました。
早川書房の文庫本ですが、上下合わせておよそ920ページあり、
読み始めたときには、やたら多い登場人物が次々に主語になり、
決して読みやすくはなかったので、面白いとは思えませんでした。

ところがやがて、何人か主要な登場人物がわかってくると、
その複雑な関係性こそ、この作品の重要な要素とわかってきて、
それが理解できれば、事件の全容もわかるようになっていたのです。
事件とは、ほとんど顔見知りの人しかいないような小さな町で、
人に危害を加えるとはまったく思えない、一人のひ弱な高校生が、
学校で銃を乱射して、10人を殺害、多数の負傷者を出すものです。

マイケル・ムーアも「ボウリング・コロンバイン」で映画にした、
1999年の米国コロラド州コロンバイン高校で起きた銃乱射事件。
この事件は日本をはじめ、世界中に大きなショックを与えましたが、
当然のこと、もっともショックだったのはアメリカの人々でした。
銃所持の是非から、ゲーム、パンク、ネットが子に与える影響など、
様々な議論がなされた、その全容を小説に仕上げた作品だったのです。
題名の「19分間」とは、突然世界が変わるのに要した時間です。

アメリカで現実に起きた、校内銃乱射事件の生存者と関係者から、
直接取材をして、それをただ並べるのではなく、自分自身で消化して、
まるで見たこともない手法の推理小説に仕立て上げたジョディ・ピコー。
彼女は突然こんな小説が書けたわけではなく、「私の中のあなた」や、
「すべては遠い幻」などのベストセラーを書いていると知ったのは、
この長い作品を、全部読み終えてからのことでした。

加害者の男子高校生と、被害者となった大勢の男女の高校生たちは、
実はどちらが加害者でどちらが被害者と、簡単に言えるものでさえない。
「自分に出来ること」と「自分がやるべきこと」のバランスが取れない、
あやうい思春期の子どもたちの心理描写も、過不足無く見事なので、
読者はいつのまにか、彼らの心の綾にまで深く覗きこんでいくのです。
自分を守るために、“いじめられる側”でなく“いじめる側”に加わる、
いじめの実像を見事に浮き彫りにした、読み応えのある小説でした。

アメリカで人気のある裁判ものの形を取りながら、最後の土壇場で、
誰も予想していなかったような、大どんでん返しがあるのですが、
それは決して、ただ読者をおもしろがらせるために書かれたのではない。
成長途上の若者が、まだ失っていない純粋さをどのように保ったのか、
溢れるような哀しみと共に、僕らの胸に問いかけてくるのです。
悪いのは誰なのか? 僕らはどうすれば良かったのか? と。

被害者の親も、加害者の親も、弁護士も、検事も、警察署の刑事も、
みんなが「こんな筈ではなかった」と思わずにはいられない事件。
その裏に潜む、日常的な社会の歪みや、無理解をどうすればいいのか?
作者は冒頭の「謝辞」の中で、次のように書いています。

「ほんのちょっと人と違う子、ほんのちょっと怯えている子、
 ほんのちょっと嫌われている子、世界中に大勢いるそんな子どもたちへ。
 この本をあなたに捧げます」

こんな言葉がどうして出てきたかは、
本を読んで味わっていただきたいと思います。



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