「沈黙の海」

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スウェーデンのジャーナリスト、イサベラ・ロヴィーンが、
世界の海で激減する食用魚と漁業の関係について書いた「沈黙の海」。
これがスウェーデン・ジャーナリスト大賞と環境ジャーナリスト賞を受賞。
高い評価を得た彼女は、今年欧州議会選挙に立候補して当選すると、
今やEU漁業委員会のメンバーになって、漁業政策改革に着手している。
こんな前知識に加えて、以前から海洋環境に大きな関心があった僕は、
さっそく手に取って読んでみたのですが、期待以上に示唆に富んだ本でした。

そもそも環境先進国スウェーデンで、なぜ海洋環境が見落とされていたのか?
EUに加盟しているため、自国の判断だけでは決められない漁業政策で、
国内では、禁漁を含めた大幅な漁業制限が必要だとする方針もあったのに、
この数年は、毎年実際に収穫できる以上の漁獲高がEUから割り当てられる。
学術調査では絶滅の危機が懸念される魚でさえ、政府と漁業者の折衝で、
最終的には、国独自の漁獲制限をしないように!と指導がなされてしまう。
なぜEUでは、このような「乱獲の義務」がまかり通ってしまうのか?
しかも抜け穴だらけの政策で、大量の違法操業も取り締まることが出来ない。

海の漁業を巡るこんな悲惨な状態が始まったのは、比較的最近のことで、
そのきっかけは、EUの漁獲制限のための補償による漁の効率化だったと言う。
何のことかと思えば、漁師に対する補助によって船の漁獲能力が上がると、
漁師は自分の近海の魚を取り尽くしてしまい、ほかの漁場で魚を取り始める。
するとそれまで、資源としての魚を減らさない程度に漁をしていた漁師が、
余所の漁師にばかり獲られては困るから、自分たちも競って魚を獲るようになる。
漁獲量が減れば補償を求めて、漁船の漁獲能力を高めることで効率は高まり、
獲りすぎて魚が減る→、漁業補償で能力を高めて漁をする→、さらに魚が減る!

こんな際限のない漁の拡大によって、目に見えて漁獲高が減る頃には、
すでに食養魚は激減しており、種の回復不可能な状態にさえなりかねない。
そうした漁場の実例が、すでに世界中から報告されているというのですから、
海に囲まれて魚好きな日本人も、他人事であるはずがないのは当然です。
幸い日本近海では、それぞれの地域の漁協が漁業権を持って漁場を管理し、
勝手に余所から来た船が操業できないと聞いているので、この点は安心ですが、
排他的経済水域を超えた海洋では、世界中の漁船が漁を競っているのです。
ひとたび「共有地の悲劇」に晒されれば、どんな漁場も荒れてしまうでしょう。

こうした海の漁について、漁獲を制限する機運が大きくなっているのは、
主にEUなどの漁獲能力の高い大型漁船が、無制限に魚を獲ろうとするからで、
これが野放しになれば、今では世界中の魚を取り尽くす以上の能力がある。
今後は漁獲量を決めて取り締まることで、漁業資源を守るしかないのでしょう。
日本で漁獲制限の問題と言えば、鯨や黒マグロなどがよく報道もされますが、
世界ではさらに多種多様な魚介類が、絶滅の危惧を受けて制限が始まっている。
すでに人類の漁獲能力は、過剰を超えて、食用魚絶滅の危機を孕んでいるのです。
さらには養殖の技術に対しても、この本は大きな疑問を投げかけています。

日本語版で400ページの本であり、ここでは内容の一部しか紹介できませんが、
著者のイザベラさんは、食用魚の激減は温暖化や海洋汚染によるものではなく、
大量に売って儲ける経済システムで、自然力そのものの喪失が原因だと忠告します。
この視点は深く共感できるし、漁業界の圧力に配慮する経済重視の政治判断では、
問題を先送りするばかりか、回復不能な事態をもたらす可能性もあるとも言う。
エピローグで彼女は、この危機に際して「他の人もやっているからいい」とする、
世界に蔓延する心理状態に対して、人間は自然の一部でしかないことを警告します。

「消費文化の奴隷と化した私たちは、いざ死の床に就くときにはその文化に何の
 価値すら見出すことができないだろう。なぜなら、私たちは何かを買うという
 行動自体に幸福が宿っているのだという錯覚に自ら陥ってしまったからなのだ。
 本当の幸福は、実はただで手に入ることに気づかずに。」( Isabella Lovin )

この本は、激減した食養魚の問題を取り上げながら、
実は現代文明が抱える大きな問題点を指摘していたのです。
現代文明の何が危ういのかを考える、優れた本なので。
関心を持たれる多くの皆さんに読んでいただきたいと思います。



イサベラ・ロヴィーンさんの「沈黙の海」(佐藤吉宗・訳)は、
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