市民の“責務”以上の“権利”

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南砺市協働のまちづくりワーキンググループ」は、
今月が5回目となって、具体的な条項の討議を行いました。
ここに集められたメンバーは、協働の話をすると言うよりも、
南砺市自治基本条例を作る、原案の検討をするのが目的で、
第5回目で、いよいよ具体的な条例の検討に入ったってことです。

住民自治基本条例は、このところ多くの自治体で作られていますが、
ほとんどの場合、平成の大合併で大きくなった新しい地方自治体が、
歴史も伝統も異なる幅広い地域を、統一的に纏める基礎が欲しいのです。
おりしも新しい流れとして、行政とNPOの協働が必要とされる中、
この市民組織と行政の関係や役割分担を、どうすればいいのか?
条例で定めて、動きやすくしたいという狙いもあるでしょう。

今回は市民協働課が、事前にいくつかの自治体の条例を配布して、
それを参考に「協働のまちづくり条例におけるそれぞれの権利と責務」
に対する意見交換をし、出された意見のまとめと発表までやりました。
市民、行政、議会、自治会、NPO、それぞれの権利と責務を話す中で、
一つ興味深い議論がありましたので、ここにご紹介しておきます。

それはちょうど「市民の責務」を話し合っていたときのことです。
僕らは普段、市民が行政に参加する権利があるなら協力する責務もある、
と考えることを当然のように思っているわけですが、果たしてそうか?
そこに住んでいる全市民は、任意団体に加入する場合と違って、
様々な思想信条を尊重しあいながら暮らす、基本的人権が保障される。
とすれば、住民総意とは限らない政策などには参加する責務はない!

一見自分勝手な考え方のように、思われる人もいるでしょうが、
誰かを犠牲にして成り立つ公共の利益とは、誰のための利益なのか?
そのような利益を求めるべきではない!とする意見に、僕も賛成なのです。
特に発言力の弱い人には、強い人の意見に押しつぶされない法規が必要で、
「参加する権利があるから、協力する責務もある」と単純ではいけない。

こうした人権の考え方が、どこまで参加者全員に伝わったかどうか、
それはわかりませんが、少なくとも何人かでは意識を共有できました。
この小さな意識の共有によって、基本条例が具体的な条文になるときに、
それを読んで、「間違っている」と判断する拠り所になります。
地方自治の基本条例は、民主主義の一番根底にあって市民を守るもの、
そう考えれば、反対しながらでも「そこにいる権利」は大切なのです!