“戦争”という名の敗北

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もしかして、また国会議員になるかも知れない、
邪悪な目をした、安倍の某が首相になって以来、
この国は、百年に一度の戦争の危機に向かって、
いつか来た道を、ギャラップし始めたようです。

そんな危うさを、個人の肌で感じ取った人々が、
この2年間に、平和活動を始めるようになって、
なんとか、戦争への準備を食い止めていますが、
北の脅威を振りかざして、戦争したい人もいる。

この現状に対して、幸い政治弾圧が緩んでいる、
衆議院選挙までの、放送への圧力空白の時期に、
NHKは、ここぞとばかりに反戦特集を組んで、
愚かしくて悲惨な、戦争の真実を伝えています。

今夜も「わすれないで、わたしたちの戦争」では、
今も健在でおられる、戦争従軍体験者の話を聞いて、
あの戦争が、どんなものであったかを明らかにして、
二度と戦争をしてはならないと、訴えていました。

人を殺した体験を語ることは、どれだけ苦しいか!
ましてそれが敵兵ではなく、一般住民であったり、
飢えて食べ物を奪うために、味方を殺した話など、
聞くにも耐え難い体験を、彼らは話してくれました。

先の海軍軍令部の将校たちが、責任逃れで生き延び、
それどころか、自衛隊の幹部となって暮らした戦後、
現場将校たちは、自らの部下を死なせた罪悪感で、
生涯にわたって、行楽にさえ行かなかった人がいる。

もちろん、幹部将校にも人間的に優れた人もいたり、
現場将校にも、どうしようもない人はいたとしても、
“戦争”さえなければ、こんな悲劇はなかったなら、
どんな理由であれ、戦争してはいけないのが教訓です。

日本は戦争に負けたからいけないので、勝てばいい!
と思っている人が、相当数いるのが事実だとすれば、
それは人間として恥ずかしい、自分勝手な理屈であり、
世界から、戦争が無くならない理由でもあるでしょう。

自分たちが勝とうが負けようが、かならずどこかでは、
誰かが、同じ人間として耐え難い悲惨な目に遭うのが、
戦争の姿だと知れば、軍備を整えることさえ意味がない、
戦争すること自体が“敗北”なのだとわかるはずです。


写真は、デビッド・バーネットの
「打ち続く内戦になくボリビアの少女」から。