晴れて墓そうじ

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北陸は梅雨明けしていることになっていますが、
8月になってからも、ずっと雨天か曇天続きです。
僕が知る限り、昨日が二度目の青空に太陽が出た日で、
帰省していた兄と一緒に、お墓の掃除に行ってきました。

ずっと湿気の多い、蒸し暑い日が続いているので、
太陽が出るのはありがたいのですが、やっぱり暑い!
お墓の周囲の草刈りをしていると、汗だくになりました。
それでも次々に、お墓の掃除をする人はやってきます。
なにしろ瑞泉寺という、大きなお寺の門前町ですから、
信心深い人は多いし、先祖を敬う気持ちは大きいのです。

それにしても、町の人口は減っているというのに、
お墓の数は増え続けて、墓地は拡張を続けてきました。
この写真の奥に並んで見えるお墓は、全部新しいものです。
我が家のお墓は、それまでは墓地の一番端にあって、
木立の向こうに砺波平野を見渡す環境にあったのですが、
今は隣りにも墓地が広がって、その向こうには浄水池です。

僕自身は立派な石造りのお墓には、関心はないのですが、
母はお墓やご先祖というものを、大切に考えていた人なので、
生前に自分で、墓を立派に作り直したほどの人でした。
そんな気持ちを無碍には考えませんので、否定はしませんが、
この墓がほとんど浄土真宗の信者のものであると考えるとき、
本来真宗では、石造りの墓など設けないはずですから、
物欲、我欲、名誉欲などを、感じないではいられません。

人間の習性は悲しいもので、立派な墓を建てる人が増えると、
自分もそうしたいと思い、商魂たくましい人がそれを煽る。
本当に子々孫々を大切に思うなら、お墓を立派にするよりも、
将来にどんな社会を創るのかを、真剣に考えることが先で、
そうした社会の実現に向けて、生き方を定めることが大切です。
親鸞蓮如も、立派な墓や豪邸を望んだとは思えません。

今の社会では、おカネで買えるものばかりがもて囃され、
どこにも売っていない心や理想や生き方は、蔑ろにされる。
与野党対立だ、政権交代だと言っても、世界の全体から見れば、
同じようなマネー経済拡大主義の、主導権争いでしかない。
これに飽き足らない若者は、危なっかしい宗教に走ってしまう。
まことに残念な、危うい時代に生きているのかもしれません。

たぶん人間が持てるものには、限界容量というものがあって、
たくさんの物や財産を持ってしまうと、その管理に心が奪われ、
本来あるがままの自然や、赤心などがこぼれ落ちてしまう。
それが物欲に走ったこの百年の帰結であって、限界なのかも。
これから子どもたちの将来に向けて、どんな社会作りをするかは、
まずマネー経済や物欲から離れて、人間本来の姿を見ないと、
いつまでも亡者の集団社会を作ってしまうと、危惧するのです。

僕らがこれから、どんな新しい社会を創っていくのかは、
どんな政治を選択するのかと同時に、どんな生き方をするのか?
個々人の生き方の選択無くしては、幸福な未来はあり得ないのです。
目先の利益より、何を目指すのかを忘れないで生きたいものです!