「湖のほとりで」

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しばらく映画の感想を書かなかったのは、
その間に面白い映画を観ていなかったわけではなくて、
特別に何かを書き残したいと思う作品が無かったのです。
ところが先日、沖縄の帰りに名古屋で見た「湖のほとりで」は、
日が過ぎても印象が強く心にあって、なんとなく忘れがたい。
この不思議な美しさは、書き留めておきたくなりました。

イタリアの、アンドレア・モライヨーリ監督が撮ったこの作品は、
全編イタリア語で、出演者のほとんどが知らない人ばかり。
だからこそ新鮮でもあったのですが、全体に流れている美しさは、
静かな森と湖と、傍らにある小さな村の美しさであると同時に、
そこに住む、誰もが顔見知りの村の暮らしの美しさでもありました。

この映画は、何故こんなに心に印象が残ってしまうのか?
映画の紹介を見たら、原作がヨーロッパで人気のミステリー作家、
カリン・フォッスムの人気作品「見知らぬ男の視線」であり、
イタリア映画界屈指の名俳優を揃えた作品と知って納得しました。
たしかにこの村の美しい佇まいと共に、出演者がまた味わい深い。
特にトニ・セルヴィッロが演じる主人公、サンツィオ刑事は、
老練なベテラン刑事でありながら、自分の家庭に問題を抱えていて、
事件と家庭問題の同時進行が、人生の深みを感じさせてくれます。

素朴な村に近い湖のほとりで、若い女性が全裸死体で発見される。
殺された女性には、抵抗らしい抵抗の痕跡も認められなければ、
村でも評判のいい若くて美しい女性は、誰からも愛されていた。
そんな謎に満ちた事件でも、少しずつ取り調べが進む内に
サンツィオ刑事は、彼女の恋人を殺人容疑で逮捕してしまう。
誰からも愛されていた被害者の女性は、不治の癌を患っており、
その診断結果を記録したデータを、この男が持っていたからだ。

事件は淡々と全容を現すかに見えながら、何かが違っている。
そうして事件に立ち向かうサンツィオ刑事には、認知症の妻がいて、
その事実を娘に告げられないまま、娘との諍いを起こしてしまう。
誰も誰をも憎んでいないのに、ふとしたことで傷つき傷付ける、
そんな二つの世界が入り組み、干渉しながら明らかになるもの。
そこに見えてくる、人間としてのやるせない悲しみと諦念が、
この映画の大きな主題なのだろうと、やがて気付かされます。

美しい村の自然の中に、人々の安定した暮らしがあるけれど、
だからと言って、すべて何事もなく順調なわけではないのです。
そこに起きる、人の努力ではどうにもならない運命のようなものを、
自然に受け容れてしまうときに、一つの事件が起きてしまった。
その全容を受け容れたとき、刑事は自らの問題をも受容するのです。

映像が常に美しく、実に上質のミステリーであると同時に、
作品は文学にもなっていて、上品な味わいを持つ秀作映画でした。
人生の味わいがわかる大人の作品!と言えるかもしれません。
イタリア映画の魅力は、まだまだ健在だと感じました!