「たとえば、人は空を飛びたいと思う」

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難波教行さんの「たとえば、人は空を飛びたいと思う」は、
“難病ジストニア、奇跡の克服”と副題が付いている通り、
自らが体験したジストニアの発病から回復までの闘病記です。
そもそも僕は、ジストニアなんて病気のことを知らなくて、
本を読むうち、彼の症状の進行に合わせて理解していきますが、
すると平凡な人生の喜びを、あらためて感謝したくなる、
つまりは、人生とは何かを考えさせてくれる本でした。

まず彼は、小学校2年生当時から少しずつ発病していながら、
それを日常的に工夫して、克服しながら生活を続けるので、
うまく字が書けなくなったのも、心身症の一つとみなされます。
ところがそうして始めた心理療法は、まったく効果がなくて、
心配になった母親が、4年生の秋から大学病院へ連れて行って、
さらに一年後の5年生の夏に、初めてジストニアと診断される。
そして彼は、障害者とは何かと考えながら、障害者にされていく。

中学に入って、日本で二人しかいないジストニア研究者を訪ね、
その梶先生を経て、様々な治療も受けるようになっていく。
だけど最初は手の麻痺だけだったのが、やがて足も麻痺して、
やがて彼は、普通に歩くこともままならなくなっていくのです。
それでも彼は、海外の姉妹都市へ行く交換留学に応募して、
夏休みにはニュージーランドへホームスティに行ったり、
弁論大会に出たりと、積極的な学校生活を送り続けています。

そんな彼が高校を受験するときも、多くの人の世話になりながら、
それを素直に受け容れて、感謝の気持ちで先へ進むのが気持ちいい。
高校時代には、シアトルへ行ってホームスティをしているし、
病気を治せるかも知れないと聞けば、新しい薬にも挑戦する。
少しずつ量が増えるだけで症状が改善しない薬に、疑問を覚えると、
今度はまったく薬を飲まない療法にも、果敢に挑戦しています。
この積極的に挑戦する彼の性格が、やがて手術しようと決心する。

だけどその手術を出来る医師は限られているので、何年も待ち、
その間に彼は大学生になって、不自由な体で一人暮らしを始める。
このあたりの事情は、彼の両親がお寺の住職をしていたり、
進学した大学が、両親と同じ大谷大学だったのも偶然ではありません。
そして様々な人の繋がりを、素直に受け容れる性格があってこそ、
彼はこの難しい手術をしてくれる医師にも出会い、手術を受けます。
その結果、奇跡を受け容れ、再び一人で歩けるようになるのです。

この物語は、一見僕らの日常とは懸け離れた世界を描きますが、
彼のあまりにも人間としてあたりまえの感覚が、今の社会を写し出す。

「どんどん便利になっていって人と関わりなくなんでもできるように
 なっても、それは豊かであるとは思えないのである。何かで困ったとき、
 誰かに助けてもらえばうれしいはず。困っている誰かを助けられたら、
 うれしいはず。そうすれば、みんな幸せになれないだろうか。・・・」

便利であることが豊かな社会とされる現代に、本当の豊かさを問い掛ける!
これは僕らが、市民活動や自然農で求めている価値観そのものでしょう。
新しい社会をどんな価値観で育んでいくのか? それはマネー経済でなく、
人々がお互いの命を生かし合う、絆と関係性の中に見出せると思うのです。
この本は、そんなことまで考えさる内容を含んでいたのです。



難波教行さんの「たとえば、人は空を飛びたいと思う」は(↓)こちらから。
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