「ザ・バンク」

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原作は「The international」で、内容は単に銀行に止まらず、
世界中の人が逃れられなくなっている、金融経済システムの話です。
物語は、internationalな巨大銀行IBBCの違法行為を暴くため、
インターポール捜査官のサリンジャー(クライブ・オーウエン)と、
ニューヨーク検事局のエレノア・ホイットマンナオミ・ワッツ)が、
欧州のベルリン、リヨン、ルクセンブルグ、ミラノ、と追っていく。

その過程で明らかになってくる、巨額のミサイルシステムの売買や、
新興政府までも虜にしてしまう、政治、経済、軍事まで丸抱えの商談は、
どうしても否定しきれない、現実社会の出来事に即応しているのです。
あらゆる談判が闇の中で進行するのですが、それは契約と言うよりも、
利潤を追い求めるシステムと人々の暗黙の了解で、表には出てこない。
だけど現実に、あるはずのない資金で軍隊が作られたりしている。
こうした資金は、どこから、何のために回されてくるものなのか?

ところが、重要な証人を得たと思えば、次々にその人物が殺され、
捜査を続けようとすれば、上層部から捜査中止の命令が下ってくる。
そんな状況でも、重要な殺し屋を探り当てたサリンジャーたちは、
NYグッゲンハイム美術館で、殺し屋とIBBCの関係者の接触を確認、
逮捕しようとしたところで、予期しない壮絶な銃撃戦が始まってしまう。
そしてせっかく確保した殺し屋ばかりか、仲間の刑事までが殺されて、
サリンジャーは、この巨悪に終止符を打つために法外な活動に出る。

この先の結末で、サリンジャーに追い詰められたIBBCの代表は、
さらのその利権を自分たちのものにしようとする、何者かに殺される。
このとき見えてくる構図こそ、現代社会を支配する利益システムなのです。
いくら悪事を暴き、それを葬ろうとも、次々にその後釜が現れてしまい、
世界中の法律をくぐり抜けて巨大化した、internationalな利益集団は、
トップが死のうと誰がどうなろうと衰えることなく、勢力を広げていく。
まったくの無力感で、絶望的に立ち尽くすサリンジャーが印象的でした。

三年前に北陸平和映画祭で取り上げた「ザ・コーポレーション」では、
巨大な企業は経営者の意志を超えて、利潤追求がひとり歩きをするため、
誰も悪くないままに、どんな極悪非道なことも平然とやってしまう様子を、
ドキュメンタリーの手法と学者の解説で、淡々と描き出していたものです。
そこにはまだ、事実を知れば良い方向へ軌道修正出来るかも知れない!
と思わせる、どこか牧歌的な正義が残っていたような気がしますが、
「ザ・バンク」では、呆然と佇むサリンジャーを残して映画が終わる。

なぜ世界中の圧倒的多くの人たちが、好き勝手な利潤の追求を許すのか?
サリンジャーやルイや、心を入れ替えて正義を望んだ人たちの希望は?
このあまりに巨大なマネーシステムの偶像信仰に、どう対抗できるのか?
人類の英知を結集しても挑むべき難題が、ここにあることを示す映画でした。
その解決方法がわからないから、いっそ長いものには巻かれてしまうか?
この巨悪ゆえ、イスラムは余剰利益を禁じ、僕らは自給自立をしようとする。

我々がなにげなく溶け込んでいる、大量消費社会の正体を見せてくれる、
現代ならではの、物語でしか見ることの出来ない壮大な映画だったと思う。