「脳はあり合わせの材料から生まれた」

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この20年ほどのあいだに、脳をめぐる科学が一気に進んで、
人の脳の働き分布図も、かなり詳細に描かれるようになりました。
ところが、いろいろわかるにつれて分からなくなるのが、
人間がやることは、何故いつも不合理なのかと言うことです。
その謎を、わかりやすく、納得がいくように解説してくれたのが、
ゲアリー・マーカスの「脳はあり合わせの材料から生まれた」でした。

まず最初に、彼は人間の脳の進化をクルージなものだと言います。
クルージとは、1962年頃から広まったコンピュータ用語で、
「不釣り合いな部品をむやみやたらと寄せ集めた奇怪な代物」
とのことですが、要するに「間に合わせの寄せ集め」ってことでしょう。
これは人の脳活動が、文字を使い始めて画期的に変わったのと同じで、
生来的には持っていない能力を、創造的に使い始めたってことなのです。

人は長い人類史の中で、少しずつ変化してきたわけですが、
理性的な判断が必要になったのは、ほんのここ二三千年のことで、
それ以前は、ほとんど動物と同じような本能的判断で活動していた。
当然脳の能力も、そのように反射的な反応を中心に発達していたのです。
ところが、人社会においては新しく理性が要求されるようになり、
文字文化と共に、反射的ではなく熟慮する判断の必要が出てきても、
脳は急に変わることが出来ず、寄せ集めで能力を発揮し始めたのです。
これが現代人をして、多くの精神的障害を起こす原因でもあります。

人は毎日平均して55分間、自分の物をどこに置いたか忘れて探している!
慣れない場所で車を停めると、何処に停めたかわからなくて探し回る!
パラシュートの紐を引くのを忘れて、死んでしまうスカイダイバー!
飛行機のパイロットは、チェックリストなしでは航空機を操縦できない!
こうした記憶のあいまいさから始まって、人の確信のいい加減さなど、
人間の判断がいかに情動的で、理性とはほど遠いかが解説されていく。
すでにある政策は、なぜ理性的で革新的な政策より支持を受けるのか?
この本の内容の大部分は、人の判断がいかに理性的でないかを説明します。

それでは、こうした不合理な性向を決定づけている要因は何なのか?
彼はそれを「文脈依存記憶」として、人間能力最大の特徴だとします。
人の能力は、コンピュータのように整然とファイリングされておらず、
文脈に依存して記憶し、文脈に依存して判断をすると言うのです。
なるほど、僕らは台所で考えたことを他の部屋へ行くと忘れたり、
寝る前に考えたことが朝起きると忘れていて、また寝る前に思い出す。
ある種の関連を持たせないと思い出せないのが、人間の脳なのです。
受験勉強で覚えた年号の覚え方など、その典型みたいなものでしょう。

人間には古代から続く反射型システムと、新しい熟慮型システムがあって、
二つを組み合わせながら生きているわけですが、使い方が最善ではない。
ゆっくり考えているときは、熟慮型が働いて理性的でいられるのに、
いざ目の前で何かが起きると、パニックになって反射型判断をしてしまう。
熟慮していては間に合わない時など、それでいいこともあるけど、
冷静に考えればあり得ないような行動をして、失敗することもある。
結局は、そのどちらか一方では対応しきれないから、間に合わせになる。

なんだか危なっかしい話ですが、これが人間の正体だとわかっていれば、
たとえば、パニックを起こしそうな事態を前もって疑似体験しておいて、
それを文脈的な記憶によって、対応可能にすることも出来るわけです。
火災や津波避難訓練が大切な理由も、より明確に説明されるわけです。
こうして、人間の記憶や判断が不完全なものだと理解してしまえば、
平方根の計算や年号の記憶など、合理的なことは機械にに任せてしまい、
人はもっと愛情とか、芸術とか、詩歌のなんたるかを考えればいいのです。

あらゆる情報がインターネットで手に入る時代でも、教育が必要なのは、
人は目の前の情報を反射的に信じやすく、熟慮には時間がかかるからで、
もう今までのように「まずは信じて、後で質問する」では間に合わない!
むしろ目の前の情報を疑い、何が正しいかを判断する能力こそ大切で、
教育の最重要課題は知識ではなく、判断する哲学だということです。
最近数多い脳をめぐる本の中でも、一読をお薦めしたい一冊でした。


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