投票率より政治意識!

日本人の民主政治は、自ら勝ち取ったものではないので、
多くの国民は政治意識が薄く、政治は縁遠いものと思っている。
さらに、優れた政治家は地元へ利益誘導出来る人だと考えるので、
政治信条や政策の是非で投票する人は、残念ながら多くない。
少なくとも僕が住む富山県では、こんな現状があるのでしょう。

衆議院解散総選挙は、麻生さんが権力に執着して未定ですが、
この間に僕の住む地域では、10月に富山県知事選挙があり、
今月に入ってからは、南砺市の市長&議員選挙が行われています。
これらの合計3週間ほどの事前投票期間中に、僕は合計8日間、
投票所の立会人をやったのですが、いろいろと見えてきました。

選挙と言えば、多くの市民活動は選挙管理委員会と一緒になって、
投票率アップ!、投票に行こう!、と呼びかける運動をしています。
投票率が上がれば、現状に批判的な野党に有利と信じている人もいる。
たしかに某宗教団体を母体とする政党などは、動員得票があるけど、
組織化の進んでいるのは与党ばかりでなく、共産党なども例がある。
つまりは、特定支持政党を持たない無党派層がポイントなのか?

だけど現実の選挙を見ていると、投票したいと思わせる政策が無くて、
僕の政治に対するスタンスは、選択肢を作ろう!と言うものでした。
投票したいと思う選択肢があれば、投票率は自然に上がると考えたのです。
ところが現状は、この投票したいと思えるほどの選択肢は出てこないし、
みどりの会議」のような政党が興味深いマニフェストを掲げた時も、
あまり見向きもされないまま、投票してもらえなかったのは何故なのか?
土井由三さんの発言通り、有権者民度が問われているのでしょうか?

投票所の立会人をしていると、様々な投票者の事情が見えてきます。
特に平日の日中などは、自力で投票所に来られないような人たちも来て、
役所の人に助けられながら、なんとか投票を済ませていくのですが、
「どの人にしますか?」と聞かれて「誰でもいいちゃ!」と答える人、
誰かが書いた紙を用意してきて、「この人でいい」と指示する人。
あるいは、「この人しか知らんもん」と町の名士の名を書く人。
政策も何も関係なく、こうした人が投票率を上げるのだとしたら・・・

実のところ僕だって、立候補者の主張が良くわかっていない。
南砺市議会議員選挙の井波選挙区には、定員5人に7人が立候補して、
有権者の選挙意識も高く、事前投票にも大勢の人がやってくるのですが、
選挙公報を読んでも、政策的な違いはやっぱりよくわからないのです。
となると、良く知っている人に投票しようとする気持ちもわかる。
選択肢がわからないのだから、「誰でもいいちゃ!」になってしまう。

新しい時代の流れは、世界的には確実に始まっているとわかるのに、
地元に目を向けると、少なくとも政治的にはどこにあるのかわからない。
僕は自分の住む行政区域である南砺市では見つけられずに、今は高岡市で、
いくつかの市民活動やNPO活動に参加しながら、この芽を育てている。
自分が生きている間に、どこまで育つかはわからないのですが、
これが子どもたちの未来への最良のもの!を育てていると思うのです。

ただ投票に行くのでなく、自ら政治に参画して社会を作る意識を育てる。
枯渇資源を浪費しない社会の在り方を提示して、政治によって確かにする。
経済の拡大で、人が何でもお金に頼る人材や消費者になるのではなく、
もっと根元的に何が大切かと考えて、人が命の環境の中に産まれて生きる、
大いなる自然の循環を大切に実感して生きる、そんな生活を実現したい!
これが僕の、自由に生きた証としての願いなのかも知れません。