「ミリキタニの猫」

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昨日の9月11日に、ぴ~すフィルムネットの試写会で、
まったくの偶然ですが、「ミリキタニの猫」を取り上げました。
何が偶然かというと、この映画は2001年の911事件を契機に、
一人の女性映像作家とミリキタニの間に様々な繋がりが生まれ、
そこからこのすばらしい作品が出来上がっていった事実があって、
それを今年の9月11日に見ることになったのも偶然なら、
試写会に参加者がいなくて、続ける意味を失ってしまったことで、
僕自身もまた、新しいステップへ進む契機になりそうな偶然です。

この映画は、意図しなかったドキュメンタリーとでも言うか、
人間の可能性が魅力的にも愚かにも見えてくる、不思議な映画でした。
物語自体は、ニューヨーク在住の映像作家リンダ・ハッテンドーフが、
2001年の1月、路上生活をして絵を描いているミリキタニを見て、
寒いだろうにと心配になり、声を掛けたところから始まります。
ミリキタニは、心配ないと言って猫の絵をくれ、そのかわりに、
自分を撮ってくれというので、彼女は翌日撮影カメラを持ってくる。
彼は平和の大切さを訴えながら、何枚もの絵を見せてくれます。

そして7ヶ月以上に渡って、彼女はミリキタニに声を掛けて親しくなり、
やがてあの911事件が起きて、彼女は彼の様子を見に行きます。
するとミリキタニは、有毒な煤煙の中で逃げもせずに咳き込んでいる。
それを見たリンダは、おもわず彼を自分のアパートに連れて行く。
そのまましばらく居候生活をするのですが、そんな暮らしの中で、
歴史に翻弄され、苦難に満ちたミリキタニの人生が明かされるのです。
彼は1920年にサクラメントで生まれた日系アメリカ人でした。

3歳で親の実家がある日本の広島に移り、18歳までを過ごすのですが、
当時の日本は軍国主義がはびこり、親は彼を軍人にしようとします。
しかし彼は、自分は絵を描く芸術家になりたいと考えたようで、
自由の国アメリカを信じて、18歳の時にアメリカに戻るのです。
ところがそのアメリカでも、戦争の影は社会全体を覆っていて、
日系人はすべて収容所へ送られ、彼もその例外ではありませんでした。
収容所の中で、彼はアメリカの市民権も奪われてしまったのです。

戦争が終わっても、しばらくは収容所から労働者として派遣され、
自分の意図しない強制的な労働者生活を余儀なくされたうえで、
ようやく解放されたミリキタニは、ニューヨークに出て仕事を得ます。
その仕事を続ける間も、彼は何も社会保障がないままなのですが、
やがて絵を描く路上生活を始めてからも、彼は社会保障を拒否している。
彼はいまだに、自分が市民権を奪われたことに納得していないのです。
ところがリンダの調べによって、強制収容所での市民権剥奪は違法とされ、
ミリキタニにはもう市民権が戻っていることを、彼は知らなかったのです。

呆然と佇む彼の表情は、それまでにない素直な人の戸惑いがありました。
閉ざされていた彼の心は少しずつ開かれて、社会保障を受けるようになる。
やがて一人でアパートを借りて、施設で絵を教えたりして暮らし始める。
こうした一連のことが、911事件を契機に次々に起きるのですが、
それまで人間不信に陥っていたとも言えるミリキタニは、変化を受け入れ、
80歳を過ぎているにもかかわらず、新しい生き方を始めるのです。
リンダを初めとする多くの人と人の組織が、それを可能にしてくれたのです。

やがて90歳になろうとする人間の、思春期から80歳までの60年以上、
戦争や、人種差別や、社会不信に苦しみながら、絵を描き続けた愚直な姿は、
リンダと巡り会うことによって、一つの作品となって世に問われたのです。
しかもあの忌まわしい911事件がなければ、誕生しなかったかもしれない。
そこに人間の不思議さがあり、リンダは自らが語り部になることで、
彼女が受け止めたミリキタニの人生は、遠く僕らにも届いたのです。

この映画作品と、リンダの存在、ミリキタニの存在そのものが、
信頼出来る豊かな人間性と、魅力的な生き方を教えてくれるのです。


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