「素粒子」

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フランスの作家、ミシェル・ウエルベックが1998年に発表した小説、
素粒子」(日本語訳は2001年発売)を、ドイツの映画監督、
オスカー・レーラーが、2006年に映画化したものです。
あけすけな性描写などが、センセーショナルな話題になったようですが、
内容はとても深刻で、精神までおかしくしてしまう男の性の脆弱さや、
人間は決して、素粒子のような物質としては扱えないことを、
父親違いの兄弟を通して描いているように受け取れました。

このところ僕のブログでは、男と女の性意識の違いが話題になりましたが、
この映画では、自らの性意識に振り回される男が主人公になっています。
幼い頃に母親に甘えることを知らないで、やがて性意識に目覚めた男は、
愛情と性欲がごっちゃになっていて、うまくコミュニケーションも出来ない。
結婚して子どももいるのに、妻には性欲を感じることが出来ず、
教職の仕事で、教え子に欲情してとんでもないことをしてしまう。
彼は自分を責め、心をコントロール出来なくて精神科の治療も受ける。

そんな絶望的な状況の中で、父親違いで生命物理学者の弟とだけ心を通わす。
ところがその弟も、人間としての女性とうまく付き合うことが出来ず、
生命クローン技術で大きな功績を残しながら、女性と交渉したことがない。
まったく違う状態ながら、同じ過剰な性意識によって振り回される兄弟。
ヒッピーだった彼らの母親が亡くなるときの、兄の叫びは悲痛でした。
そして自らを取りもどしたくて、母親と同じヒッピーの世界に入っていく。
彼なりに考えて、自由なセックスによって性の囚われから抜け出そうとする。

何度も傷つきながら、だけど本当に自分を解放してくれる女と出会い、
彼は生まれて初めて、心から安らぎを感じて彼女を愛するようになる。
ところがその相手の女性は、自らの病気のために死を覚悟しており、
その絶望感とも言える何かが、彼の深い苦しみを癒してくれていたのです。
そんな関係が長続きするはずもなく、彼女はついに倒れて下半身不随になる。
そして、こんな障害者の面倒を見て暮らす気なの?と言い残して去っていく。
彼は悩み抜いたあげく彼女に電話するが、手遅れだったのです。

彼の精神は破壊され、彼女の幻影の中に安らぎを見出していく。
弟の方は、幼な馴染みだった女性と再び巡り会って初めて関係を結び、
女性は妊娠するけど、子宮に病があって摘出手術をすることになるのですが、
それでも弟は、その彼女と一緒に暮らすことに安らぎを覚えるのです。
かくして、子供を産めない女性と一緒に暮らし始めた弟の安らぎと、
すでに亡くなってしまった女性と一緒にいる幻影の中で安らいでいる兄と、
それぞれが命を育む性からは遠く離れながら、落ち着き先を得たのです。

こうした凄まじい男の性欲に絡む苦しみは、女性に理解されにくいので、
特に最近の日本では、社会の表面からは切り捨てられているようです。
しかし江戸時代の浮世絵にも、巨根をもてあます男が描かれたように、
あるいは仏教においても、性欲が煩悩の代表として戒められたように、
男はそう簡単に性欲を切り捨てて社会的であることは出来ません。
この映画は、そうした生身の男たちの孤独や苦しみを描きながら、
それでも救いは、男と女の関係の中にしかないことを描いているのです。

男の性欲に関して、何を考えているのかわからないと思う女性は、
一度この映画を観るか、本を読んでみるといいかも知れません。
主人公ブルーノを演じるモーリッツ・ブライプトロイの演技は、
第56回ベルリン国際映画祭主演男優賞を受賞しています。



ミシェル・ウエルベックの原作「素粒子」の本は、(↓)こちら。
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オスカー・レーラ監督による映画「素粒子」のDVDは、(↓)こちら。
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