女と男の愛

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今も昔も、そしてたぶん将来も、
女の思う愛情と男の思う愛情は微妙に違っている。
映画「ビーナス」の中でも、
若い頃から自由に生きてきた老齢の男優が、
年老いて体調も悪く、いつ死んでもおかしくない状況で、
男にとって一番の幸せは、若い女性を見ているときだと言う。
それなら女にとっての一番の幸せは何か?と聞かれて、
赤ん坊を見ているときだろうと答える。

多くの男は、好きで付き合っている女から、
あなたは私の身体が目当てで、私を愛してなんかいない!
と言われて、パニックに陥ったことがあるでしょう。
だってそれは、事実であって事実でない。
なにしろ身体を抜きにして女性を好きになるなど考えられないし、
きっとその時は、女でなくてもよいことにさえなる。
それじゃ女は、どんな愛を求めているのか?
女が赤ん坊に接するような愛を、男に求めているのか?

僕自身も、若い頃から何度となくこの問いかけはありました。
20代の頃は、半ば言い訳のような話をして、
30代には、こうした話題には暗黙の了解で触れず、
40代では、不都合なことは忘れて気付かないふりをしていたかも。
だけど思い返してみれば、あきらかなように、
女と深刻な諍いになったのは、いつも同じこの点で、
僕は女の身体が目当ての冷たい男だと言われたものです。
そう言われれば、強く否定も出来なかったなあ・・・

一時期自律神経の失調で、勃起不全になったときでさえ、
付き合っていた女性に身体を求めていたのは事実だし、
その求めずにはいられないことが、愛情でさえあったのです。
だってそのためには、命懸けで何でもしたのですから。
ましてや肉体的にも深く結ばれていれば、それは愛ではないのか?
身体を交われないまま、彼女の全身を愛撫するのはエロ男で、
これもどうやら、女には愛情とは思われない。
こんな男の愛はなんとも切ない、置き去りの愛なのです。

だけどこれだけすれ違いの男と女でも、仲良くだって出来た。
それは簡単なことで、いつも触れ合っていることです。
心でも、身体でも、言葉でも触れあい、求め合っていることです。
お互いが必要とされていることを、見失わないように、
難しいことよりも、ちょっとしたことを具体的に求めること!
身体のどこかをさすってもらうだけでもいいし、
赤ん坊のように甘えるだけでもいいでしょう!
僕は彼女の膝枕で、耳掃除をしてもらうときが至福でした♪


写真は、アレッサンドロ・アッローリ作の《ヴィーナスとキューピッド》