苗の分蘖(ぶんけつ)

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ちょうど一ヶ月前に植えた稲の苗が、こんなに分蘖(ぶんけつ)しました。
僕らの自然農では、元気のいい苗は一本上で、そうでもないのが二本植え。
その後しばらくは草の手入れをしてやりますが、この時期になると、
一本植えも二植えも、分蘖が進んで同じようにこんな感じになります。

順調に育てば、さらに一ヶ月後には腰高に育って、まもなく花が付き、
次の一ヶ月後には、稲穂が育ち始めて、10月中旬には収穫になるでしょう。
写真のトヨサトは晩稲(おくて)なので、11月になるかもしれません。
たぶん、美しいみどり米とトヨサトが最後の収穫になるでしょうね。

こうして自然農の田畑にいると、自分も大きな命の循環の中にいることが、
頭の中だけではなく、全身の五感や五体を通してよくわかる気がします。
昨日は稲苗の脇を、最初は立鎌(たちがま)で草刈りを始めたですが、
分蘖が進んで大きく横に広がった稲苗の脇は、立鎌で刈ると苗に引っかかる。

これでは草刈りと同時に稲を痛めつけてしまうので、手毟りにしました。
稲苗の列の間にしゃがみ込んで、草をひっくり返すように毟ってやります。
時間は掛かるけど、これで稲苗の脇まで綺麗に草を取ることが出来るのです。
それでさえ、人間がしゃがみ込んで草を刈れるのは、もうしばらくです。

この先さらに分蘖が進んで、背丈もさらに大きく伸びてくれば、
人間が中に入ってしゃがみ込むだけで、稲を痛めつけてしまうことになる。
苗は大人の稲になって、自立して、自分たちの世界を紡ぎ始めるのです。
そうなれば、もう草の手入れも要らなくなって、稲穂は恋の季節です。

自然のこの命の豊かさこそ、何万年ものあいだ人類を養ってきて、
日本の数千年には、人々と自然界はお互いに尊重する関係を築いてきた。
直接歴史がわかるこの数百年においても、祖父母たちは自然を敬っていた。
それがたったこの数十年に、人は大地や自然よりもマネーを求めた。

その結果がどうなったかは、冷静に見ればわかりそうなものなのに、
破壊された自然を守るに、さらなるマネーが必要だと言い出す人がいる。
巨大マネーに出来ることは破壊だけで、命を育むのはいつも自然界なのに、
どうして人間は、こんなに馬鹿になってしまったのか不思議です。