うごかない人

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今月に入って、なかなか忙しい日が続きました。
田んぼや畑での草刈りや、ニンニクや夏野菜の収穫、
その合間を縫って、学遊塾の「自然農を味わう!」講座、
城端であった荒俣宏さんの講演会は、猛暑の日で、
冷房の効いた会場では、半分は眠ってしまいました。

さらに石垣行きのチケットの手配や、現地とのやり取り、
FMいずみでの番組出演と、源氏物語の勉強会参加。
そして「六ヶ所村通信 №4」のプチ上映会をして、
音読グループ「ランプの会」や自然農の学びの場に参加、
そして県民カレッジ自遊塾の「読書会」までありました。

六ヶ所村通信上映会への参加が10人しかいなくて、
少々寂しく思っていたら、読書会でこんな議論もありました。
今の日本では、これだけ大きな問題が次々あるのに、
ほとんどの人は、まったく動こうとしないのは何故か?
韓国でも中国でも、フランスでもアメリカでも人は集まるのに、
日本では、一日中マスコミが同じコメントをしているだけだ!

たしかに、この国では何をやっても人の集まりは悪い。
様々なことに疑問を持って、それを発信する人は増えたけど、
そこに人が集まって、ムーブメントになることは難しい。
開発や放射能による環境破壊、地球温暖化や食糧問題、
それらのことを、知識としてクールに知っているだけで、
問題解決に取り組もうとする人は、不思議なくらい少ない。

うっかり誘うと、いやな顔をされることさえあるので、
僕のスタンスは、自分のやりたいことをやっているだけだ。
中には、内容をまったく知らないままに拒否反応を起こして、
「そうした活動には賛成出来ない」と言う人までいる。
つまり、行動を起こそうという活動そのものがいやなのです。

いったい、こうした拒否反応は、何処から来たのでしょうか?
様々な価値観を、一方的に押し付けられて育った人たちが、
「もっともらしい言葉」を信じなくなったのでしょうか?
人々を戦争に駆り立てた政府も、経済に駆り立てた政府も、
信用出来ないけど、逆らえないから従っているだけなのか?

「行動することは破壊することだ」と言った詩人もいたから、
批評だけして何も行動をしないのがいい、と思っているのか?
ともかく、日本の市民活動には、なかなか人は集まらない。
だけど忘れてならないのが、人は必ず選択していると言うこと。
Noと言わない限りは、Yesと言っているのと同じです。
いや、そのように行動しない限り、何も変わらないのです。

何も変えないまま、ずるずるとおカネ経済に引かれて、
命を育む自然環境を、限界値まで破壊し続けてきた社会は、
「うごかなかった人」の集合体が作ったとも言えるでしょう。
社会は何処まで行っても、個々人の集合体です。
公安諸機関が、如何に周到に市民活動を潰したとしても、
個々人の生き方までを、潰せるわけではないはずです。

命を持って生きている限り、自由でしかない多くの人が、
みずから不自由を選択して生きている、不思議な社会で・・・