「裸足の1500マイル」

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古い映画で、公開当時から興味がありながら、
みる機会が無くて、そのまま忘れていました。
ところが最近になって、何かの雑誌を読んでいたら、
人種差別を描いた秀作として、紹介されていたのです。
当時は「母を訪ねて歩き続ける少女の映画」と思って、
それ以上のことは考えていなかったので、
あらためて関心を持って、借りて観ました。

人種差別というのは、日本ではあまりわからない。
実は日本人も、韓国、中国、台湾、沖縄の人に対して、
過去には様々な人種差別と言っていい偏見があって、
明らかな差別政策さえも行ってきているのですが、
それも学校では取り上げないし、表立つことは少ない。
日本人独特の、悪かったことは水に流して終わるので、
世代交代と共に、何でも忘れてしまうからなのでしょう。

最近また、ハンセン病者や在日韓国人などの、
差別のことを取り扱った映画などが公開されて、
あらためて、差別とは何かを考えていたところでした。
そう思ってこの「裸足の1500マイル」を見たら、
思惑とは違う、二つのことを考えさせられた気がします。
一つは、自分は正しいと思う人間の思い上がりと、
思いあがった人間が他者を正そうとする恐ろしさです。

この映画では、それが白人思想の優越感と、
自然と共に生きる原住民を蔑んで矯正しようとする、
思いあがった正義感として描かれているわけですが、
考えてみれば、これは人種に限ったことではないのです。
権力者の正義感は、いつの時代にも弱者を差別して、
思いあがった正義で、違う考えの人を矯正しようとする。
ブッシュの対テロ戦争などは、その典型でしょう。

とまあ、差別と矯正を思えばそんなことを考えますが、
この映画にはそれだけではない、人間の思いがあります。
少女もそう、母親もそう、手助けする人たちもそう、
法律や行政の方針とは違う、生きる生身の感覚があって、
僕らはそこに共感するが故に、少女の逃亡を喜ぶのです。
自分を管理しようとするものから逃げ出す少女の姿に、
自らの叶わぬ夢を、投影して見ているのかもしれません。

でもね、この映画は悲劇でないところが好きですね!
少女は無謀と思われる1500マイルを歩いて帰郷する。
家畜のように管理される安楽を選んで生きるのか?
それとも、管理を逃れて命懸けの自由の道を行くのか?
そんな選択の映画と見れば、この映画は人種差別どころか、
閉塞する現代を生きる、多くの自由を望む人たちに、
なにがしかの希望を示しているのかも知れません。


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