「エンデの遺言」

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昨日の金曜試写会では「エンデの遺言」を見て
お金の役割と問題点について、意見交換をしました。
これは99年にNHKの番組として作られた作品ですが、
晩年のエンデが取り組んでいた、おカネの問題を、
実にわかりやすく整理して、番組に仕立てたものです。

この作品を作ったのは、氷見市出身の鎌仲監督で。
彼女の「HIBAKUSYA」や「六ヶ所村ラプソディ」は有名です。
だけどそれ以上に「エンデの遺言」は重大なテーマを持っている。
この番組をヒントに、まみあなでは地域通貨も試みましたし、
お金に対する漠然とした抵抗感の根拠を理解したのです。

簡単に言えば、生活で使う流通通貨としてのお金と、
増え続ける金融マネーとしてのおカネをわけて考えることです。
71年にドルが金本位制をやめてから、お金は新たな意味を持ち、
自然界にあるものとは無関係な、マネーゲームの素材になりました。
グローバル経済の名の下に、膨大なお金が世界にまき散らされて、
生活物資さえマネー投機の材料になってしまったのです。

こうした通貨の性格を野放しにしておけば、やがては、
世界経済が破綻するか、自然界の大破壊が起きるしかない!
10年以上も前に、こうした予測をする人がちゃんといたのです。
あるいはもっと昔から、通貨も自然と同じように価値が失われ、
ついには消滅するものとして、地域通貨を作った人もいた。
それなのに政財界の利権者は、利己的な利益に目がくらんだのです。

国民の義務として納めている税金でさえ、環境破壊の資金になる。
そんな、どこで誰が何に使うかわからないグローバル通貨ではなく、
自分たちの目に見える、責任を持てる範囲で流通する貨幣を使うこと。
それは地域経済の活性化といった、しょぼい意味を持つのではなく、
自分たちの生活が関わったものに責任を持って暮らすことであり、
ときには、国家の政策にNOと主張するためのものでもあるのです。

エンデはこうした歴史をつぶさに見て、警告を発したのですが、
それからさらに年月は過ぎて、世界は今、どうなっているでしょうか。
たとえば日本政府は、この10年間に次々に起こり続けた問題を、
一つずつ解決しようとして、それがまた新たな問題を起こし続けている。
いわゆるバックキャスティング手法にしがみついて、墓穴を掘っています。
何かするたびに問題を増やすばかりで、どこへ向かうのかも見えない。

それでも世界へ目を向ければ、フォアキャスティングで希望を語る人が、
若い人の圧倒的な支持を得て、大統領になろうとする国もある。
あるいは日本国内でも、豊かな生活には地域の自立が大切だと自覚して、
すでに76の市町村では、エネルギーの自給が成り立つようになっている。
いくら役人が抵抗しても、もうこうした流れは止まりようがないのです。

すべては繋がっている!とは、よく言われるフレーズですが、
働くほどに増える貧困、平和を騙る戦争、果てしない環境破壊、
そして男女の不平等さえ、根底にはこのおカネの問題があるのです。
分配の不平等と言った、小手先の問題を言うのではありません。
流通通貨が金融マネーになったことで始まった根元的な問題です。

エンデの遺言は、ひとえにそれを告発して、
少しでも早い、方向転換の必要性を説いているのです。


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