カーボン・デモクラシー

イメージ 1

日本の政治は、すっかり芸能事になってしまったのか、
政治家は姿を消してしまい、選挙家がマスコミを賑わしている。
この時期は、来年度予算の内容を公開吟味して欲しいのに、
ガソリン税暫定税率を続けるか止めるかだけが話題になって、
使い道を問いただす議論は、滅多に聞こえてはこない。
そうして問題がズレたところで、熱心な議論している間に、
役人は粛々とキャリアを積んで地位を固めていく。

いつまでこんな事を続けているのか、ウンザリするけど、
それでも間違いなく、洞爺湖サミットを控えた今年の課題は、
温暖化の限界が迫っていることもあって、地球環境問題でしょう。
この点に関して世界をリードする国が、政治的発言力も強まる。
日本は最先端の技術力で貢献したい!と言っているけど、
それを育てる仕組みや環境が、あると言えるのでしょうか?
世界標準になれる思想や仕組みがあるのでしょうか?

現在世界の主要国と呼ばれる、経済力の大きな国々は、
最大の環境問題は温暖化と捉えて、CO2の削減を唱えている。
京都議定書などは、特定の年までに総量抑制を目指しているけど、
これもどうもインチキ臭くて、何を目指しているのかわからない。
たとえば日本が50%削減目標を立てて実現したとしても、
国内で生産していた工場を、途上国へ持っていっただけなら、
まったく地球の温暖化対策にならないのは明らかでしょう。

北欧などでは、環境対策をしながら、福祉国家としても成長し、
格差のない成長を実現しているようにも見えるのですが、
実はこの国の成長は、他国から利益を吸い上げる方法なので、
他国の人々にも幸せをもたらす、世界標準とはならない気がする。
所詮人間のやることは、強者が弱者を食いつぶすしかないのか?
そう思っていたら、世界標準になりそうな思想を見つけました。
それは、カーボン・デモクラシーと呼ばれるものです。

これはロンドンで始まっている試みの根底にある考え方で、
CO2に関しては、世界中ですべての人が同じ排出量を目指す。
つまり自分の国や地域さえ良ければいい、と考えるのではなく、
誰しもが納得できる規範を持って、人間としての心得とするのです。
たとえば科学技術の進んだ日本などでは、使うエネルギーが大きくて、
アジアの山奥で暮らす低エネルギー生活者と同じには考えられない?
と思うのではなく、それこそが技術力でのカバーを求められる。

世界中で、各人に同じ量のCO2排出が認められるとすれば、
もっと便利にたくさんのエネルギーを使いたい人は、技術革新して、
2倍のエネルギーを使う分を、半分の排出で賄うことを求められる。
これなら、どこでどのような暮らしをする人も権利を認められ、
同じ価値観上の格差ではなく、多様な生き方の選択が出来るのです。
ロンドンでは、このような考え方の基に、様々な規制が始まっている。
中心市街地に入ろうとする車には、新たな環境税なども掛けられる。

発電所だって、遠くの巨大発電所から電力を引くのは無駄なので、
ロンドンの行政範囲内に発電所を作り、地域での自給を賄おうとする。
当然この発電所は多額の資金を掛けて、最新の技術を駆使しますが、
自分の生活圏のことだから、誰もが環境にも最善の方法を選ぶのです。
当然ですが、様々な物資を遠方から移動し続ける日本と違い、
運輸に掛かるCO2排出も減り、一石二鳥の効果を生むでしょう。
遠隔地の人を経済で差別的に貶める必要もなくなるのです。

さすがは「人権」「民主主義」といった世界標準を広めた国です。
こうした新しい考え方は、この先も多くの国や企業の利権がらみで、
そう簡単には広まらないでしょうが、明らかに実現可能な思想がある。
僕らが住むこの世界が、環境問題や食糧問題をなんとか克服して、
2050年にも無事に子どもたちが暮らせていたとしたら、きっと、
このカーボン・デモクラシーは、人権の一つになっているでしょう!
これこそ、地域における食とエネルギーの自給へと続く道なのです。


今日の写真は、平野のナポレオンですよ~!