愛と平和と美しい自然
世界平和や、環境保護なんて言うと、
何か特別な人が関わる話しで、自分とは関係ない!
と思っている人が、今でもいるでしょうか?
戦争もテロも環境破壊も温暖化も、人間行為の結果なので、
人間がそれを、どうにでも出来るはずです。
そうは言っても、極悪人が仕掛けるテロを放っておけない。
テロを根絶して、安心して暮らせる社会を作るのは、
世界市民すべての願いだから、正義の戦いと言えるはず!
そんな理由で、イラクやパレスチナの市民が殺されていいなら、
圧政や差別に苦しむ人々が起こすテロだって非難できない。
それらはみんな、視点の違いに過ぎないのですからね。
どこかで誰かがやっていることは、自分がやっていること。
たとえば環境保護を唱えながら、大量のゴミを出す生活をして、
安い資源や食料を手に入れるために、世界各地で環境を壊す。
あるいは無造作に車を運転したり、飛行機に乗ったりして、
おカネ経済のために、海や森を平気で破壊し続けてきたことを、
自分とは無関係だと言い切れる人が、いるのでしょうか?
そう考えてみると、世界平和だって環境保護だって、
自分が意識しているか、意識していないかの違いだけで、
この時代に生きている人は、誰でも深く関わっているのです。
そうであれば、この事実をしっかりと意識して受け止めて、
自分はどうありたいのかを考え、その方向へ向かって生きれば、
世界はもっといい方向へだって、進めるってことでしょう。
一人一人の生き方が、この世界を形作っているのです。
この世界はいつだって、あなたの思し召すままに存在する。
問題は、それを自覚しないで破壊し続ける、あなたがいたり、
作られた欲望や利権のために、命の幸せを見失うこと。
たとえば神社でお参りして、みんなの幸せを祈る心があれば、
その方向性を見失わないように、生き方も考えればいいのです。
誰かが戦争しているのではなく、自分が争っているのなら、
解決の方法はあるはずで、その選択の積み重ねが生き方です。
意見の合わない人と、どうやって一緒に暮らしていくかと考え、
多様な価値観と共生して行く方法を見つけ出すのが世界平和!
誰かが環境を破壊しているのではなく、自分が破壊しているなら、
それを防ぐために何が出来るか、考えて実践すればいいのです。
あなたの生き方が、世界の明日を決めているのですから!
今日の写真は、もう滅多に姿を見なくなったウサギ貝です。
何か特別な人が関わる話しで、自分とは関係ない!
と思っている人が、今でもいるでしょうか?
戦争もテロも環境破壊も温暖化も、人間行為の結果なので、
人間がそれを、どうにでも出来るはずです。
そうは言っても、極悪人が仕掛けるテロを放っておけない。
テロを根絶して、安心して暮らせる社会を作るのは、
世界市民すべての願いだから、正義の戦いと言えるはず!
そんな理由で、イラクやパレスチナの市民が殺されていいなら、
圧政や差別に苦しむ人々が起こすテロだって非難できない。
それらはみんな、視点の違いに過ぎないのですからね。
どこかで誰かがやっていることは、自分がやっていること。
たとえば環境保護を唱えながら、大量のゴミを出す生活をして、
安い資源や食料を手に入れるために、世界各地で環境を壊す。
あるいは無造作に車を運転したり、飛行機に乗ったりして、
おカネ経済のために、海や森を平気で破壊し続けてきたことを、
自分とは無関係だと言い切れる人が、いるのでしょうか?
そう考えてみると、世界平和だって環境保護だって、
自分が意識しているか、意識していないかの違いだけで、
この時代に生きている人は、誰でも深く関わっているのです。
そうであれば、この事実をしっかりと意識して受け止めて、
自分はどうありたいのかを考え、その方向へ向かって生きれば、
世界はもっといい方向へだって、進めるってことでしょう。
一人一人の生き方が、この世界を形作っているのです。
この世界はいつだって、あなたの思し召すままに存在する。
問題は、それを自覚しないで破壊し続ける、あなたがいたり、
作られた欲望や利権のために、命の幸せを見失うこと。
たとえば神社でお参りして、みんなの幸せを祈る心があれば、
その方向性を見失わないように、生き方も考えればいいのです。
誰かが戦争しているのではなく、自分が争っているのなら、
解決の方法はあるはずで、その選択の積み重ねが生き方です。
意見の合わない人と、どうやって一緒に暮らしていくかと考え、
多様な価値観と共生して行く方法を見つけ出すのが世界平和!
誰かが環境を破壊しているのではなく、自分が破壊しているなら、
それを防ぐために何が出来るか、考えて実践すればいいのです。
あなたの生き方が、世界の明日を決めているのですから!
今日の写真は、もう滅多に姿を見なくなったウサギ貝です。