「善き人のためのソナタ」

イメージ 1

去年のドイツ映画賞(ローラ賞)7部門を独占し、
アカデミー賞外国語映画賞を受賞した、ドイツ映画の傑作!
そう聞いてはいたのですが、たしかに感動的な作品でした。
全編に渡ってスリリングで、目が離せないまま138分が過ぎ、
最後のシーンでは、胸が熱くなって、涙が溢れて止まらなかった。

内容に関しては、いまさら僕が書く必要もないでしょう。
それでもこの映画を知らない人は、公式サイトを見てください。
http://www.albatros-film.com/movie/yokihito/
その上で、僕は少しだけ思ったことを書いておきたいのです。

僕はこの映画を見て、何年か前のベストセラー小説「朗読者」と、
長く日本人の心を捉えてきた俳優、高倉健を思い出しました。

「朗読者」の女主人公は、自分では何も判断せずに上司の言いなりで、
その結果として、ナチスドイツのホロコーストを手助けしてしまう。
彼女は決して悪事を働こうとしたわけではないし、むしろ善良な市民で、
公務員としての職責を、法に従って忠実に実行しただけなのですが、
そのために多くの人を苦しめ、大量殺人にまで手を貸してしまったのです。

ところがこの映画の主人公、東ドイツで要注意人物を盗聴する大尉は、
自分の上司を含めた、絶対権力を持つ社会主義体制の権力者たちよりも、
盗聴対象である作家ドライマンの苦悩に、人間としての心を惹かれていく。
そしてドライマンが、権力の恥部を暴いた原稿を極秘に発表した時に、
逮捕されそうになるところを、証拠を隠して助けてしまうのです。

大尉は職を解かれ、地下で封筒の糊付けをする閑職に追いやられる。
その事実を、ドライマンは東西ドイツの統一後に知って、この原作を書く。
この盗聴者とドライマンは、最後まで口を利くことはないのですが、
原作本が出版された時、その本の扉には、大尉に対する感謝の言葉がある。
お互いの人間としての苦悩と、人間としての信頼が繋がっていくのです。

作家ドライマンが、華やかに活躍する人間の良心の象徴であるなら、
ほとんど表情も変えず、冷徹なまでに自分の任務を遂行する大尉とは、
あるとき自らの危険も省みずに、この作家を助けようとするのは何故か?
大尉はあまりにも寡黙で、最低限必要なこと以外は何もしゃべらない。

僕はこの大尉の姿に、日本人が愛してやまない高倉健を重ね見たのです。
人を批判したり、理想を語ったりしない、だけどその行動の中に信頼がある。
高倉健が映画の中で演じ続けたのは、そうした姿だったのではないでしょうか。
言葉に踊らされることなく、自らの良心に従って行動している人々に対して、
僕らはまた寡黙のうちに共感し、熱いものが込み上げるのを禁じ得ないのです。

時の権力は、その絶対的なチカラ故に、多くのものを傷つけてしまう。
それを阻止できるものがあるとすれば、内部にいる人間の良心でしかない。

「善く生きる」ことを池田さんから教わったと思っている僕としては、
この映画の題名ともなった「善き人」の生き方こそ善き生き方と知るのです。
人はどこにいて、どんな職についてようと、出来ることは限られている。
だけどその限られた中に、人間としての選択が、必ずあるのでしょう。


善き人のためのソナタ」DVDは(↓)こちら。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000PWQS3G?ie=UTF8&tag=isobehon-22