新しい人

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もう何年も前に、まみあなが忙しくて活気に満ちていた頃、
戦友のように苦楽を共にした女性が、結婚して子供を産みました。
その赤ん坊の顔を見に行って、撮ったのがこの写真です。
なんだかヤンチャで偉そうに、だけど満ち足りて幸せそうです♪
僕はどうやら、子供のいない生涯に終わりそうですが、
新しい人が生まれて育つのを見るのは、いいものですね。

先日は東京の用事で、横浜の古い友人宅へ泊めてもらった時も、
子どもの頃から心を掛けていた女性が、しばらく大病を患った後に、
今は妊娠していることを知らされて、嬉しい気持ちになりました。
気心の親しい人に子供が授かるのは、それだけで笑顔になれます。

もともと僕は、若い頃には自分の子どもが欲しいとは思わなかったし、
ある程度落ち着いてから付き合った女性とも、子どもは出来なかった。
それどころか、セックスできない時期もしばらくあって、
40歳にして、20歳そこそこの女性と沖縄へ逃避行した時は、
僕にとって理想的な美しい女性を抱きながら、まったく出来なかった。
この自律神経失調は、今の田舎暮らしでようやく回復したのです。

そんな経験をするうちに、自分は子どもを持てない男だと思い、
と同時に、女性に対する執着もかなり薄れてきた気がしています。
若い時には、常に誰か付き合っている女性がいないとイヤだったのに、
最近ではそれほど不満でもなくなって、自由と天秤に掛ければ、
彼女よりも、自由でいる方を選んでしまうありさまです。

こうした感覚は、僕独特のものなのか、男性一般のものなのか?
男女性よりも個性が大切と思う僕にしたって、簡単には言えません。
ジェンダーが指摘するような、作られた性ばかりが性差ではない、
いのちの世界には、子供を産める性と産めない性があって、
歪められた文化以前の性差だって、間違いなくあるのです。
十ヶ月間お腹の中で、一つの命を育てる感覚を男は理解できません。

杉浦ひとみさんは、男親より女親の方が、簡単にあきらめたりしない、
一点正しいと思ったら、客観性など関係なく頑張れるとおっしゃった。
この生身の感覚こそ、男と女の大きな違いかな?とも思うのです。
昔から、女は子宮で考える、なんて言い回しがあるのもこれでしょう。
男は外側で考え、女は内側で考えるから、同じことでも違う理解をする。

以前にも、身近な異界として異性のことを書いた気がするけど、
この違いを、そのまま受け入れて認めることが出来れば、
それが「愛する」ということかな?と思ったりもしています。
その違いは頭で考えるものではなく、五感と直感で感じ取った上で、
物や知識ではなく、五体と思いやりで表現するものですが・・・