「見る」とはどういうことか

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「脳と心の関係を探る」と副題が付いていて、
視覚の脳内メカニズムの解明をめざして研究をされている、
大阪大学大学院教授の藤田一郎さんの著書です。

このところ、脳の研究が進んでいることは聞いていました。
養老孟さんや茂木健一郎さんの著書は興味深く、また
「言語を生みだす本能」を書いたスティーブン・ピンカーも、
もとは視覚認知の研究をしていた人だと知っていましたので、
さらに何か、興味深い内容かも知れないと思って読みました。

しかしながら、どうも全体にニューロンの話ばかりで、
僕のように医学的関心が薄いものには、面白くないのです。
そもそも、脳を形成しているどのニューロンが、あるいは、
どのネットワークが心の出来事に関わっているのかを明らかにする、
と言っても、そのように特定することに、どんな意味があるのか?

どうも「クオリア」のように一般庶民にも関心のある話ではなく、
医療の基礎研究のような話なので、うまく関心が続かないのです。
さらに僕は、「見る」ことは特定のニューロンではなく、
いくつかの脳内野の活動全体によって浮き上がる効果だと思うので、
そうした観点から、どの部分が何に対応するかには関心が薄いのです。

脳にはニューロンの反応だけでは説明の付かないことがあって、
ものごとを即座に認知するのは「拘束条件」があるからだと説明する。
この拘束条件こそ「見る」ことが学習的獲得であることを示している。
それならこの能力獲得の過程こそ興味深いのですが、この本では、
特定ニューロン役割追求にこだわり続けていくのです。

これは外したかな?と思いながら、読み続けていくと、
締めくくりの最終章になって、ようやく面白いことが書いてある。
「特定のニューロン活動と特定の知覚のあいだに非常に密接な関係がある」
という言い回しで、これは結局、そうでしかありえないでしょう。
西欧医学の解剖学的な分解で、役割対応を確定するのは疑問です。

「見る」と言えども、聴覚や触覚が経験的に関わっており、
スティグレールの「現勢化」で言うところの、第三の記憶こそ、
僕らが何かを認識するための拘束条件だと繋がって見えるのです。
同じものに向かって何が見えるかは、文化なのですから、
それを特定のニューロンに結びつけて捉えるには、
人間の成り立ちと文化の成り立ちから始めないと無理でしょう。

そうしたことを再確認させてくれたことだけは、
たしかにこの本を読んで得た「何か」だったと思います。


藤田一郎さんの「見るとはどういうことか」は(↓)こちら。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4759813071?ie=UTF8&tag=isobehon-22