任務と良心

志貴野高校で受けている「世界の国々」の授業では、
しばしばNHKの教養番組が教材として紹介されます。
今回はドイツを理解する教材として「プライム10」の番組から、
イギリス・ヨークシャーTV製作の、ドイツ国境警備隊の話でした。

ドイツでは第二次大戦のあとも、米ソ冷戦状態の最前線として、
ベルリンの壁など、東西の国境が厳重に守られていたわけですが、
そこには国境警備隊が配属されて、警備の任務にあたっていました。
彼らにとっては、越境者を取り締まることが任務でしたので、
勝手に国境を越えようとする者を射殺することもあったわけです。

冷戦が溶けて東西ドイツが統一され、その射殺が問題になってくる。
警備隊員は自らの任務として、責任を果たすために銃撃したわけで、
日本であれば、仕方なかったで済まされてしまいそうな話だけど、
ドイツではそうはならずに、個人の良心が問われていたのです。
攻撃されたわけではないのだから、殺す必要はなかっただろうと。

実際に国境を越えようとした者を射殺した元警備兵の中には、
良心の呵責に耐えかねて、殺した男の家族に会って謝罪した人もいる。
そのシーンを見ていると、授業中なのに涙が溢れて止まらなかった。
自らの任務として責任を果たしたことと、良心の呵責との葛藤。
この人間的な苦悩は、喜んで参戦したがる人にはわからないのだろう。

戦争とは、軍隊とは、武器とは、世界を破壊して殺戮するものだ。
どんなに美辞麗句を並べても、それ以外のことなど何も出来ない。
まして自らの良心に背いてまでも、任務を果たさなければならない、
その結果として殺人者になる人の苦悩を、有無を言わさず作り出す。
一度そうした状況に置かれてしまえば、任務を拒否することは困難だ。

だからこそ僕らはそうした苦悩を生みだす状況を作ってはいけない。
憲法9条にある不戦の誓いは、そうした不幸を作らないために、
権力者の好き勝手な解釈で苦悩する市民を作らないために存在する。
エネルギー資源を海外から手に入れるために軍隊を派遣するなど、
欲に目がくらんだとんでもない馬鹿者に手を貸す必要はないのです。

最後にこの番組で、ヨークシャーTVのまとめ方は秀逸でした。
警備兵に対し、越境しようとするものを捕獲できなければ射殺せよ!
と命じた責任者に対するインタビューで、彼はこう言います。
「国民が選んだ議員の議会で法律が作られ、私はその任務を果たした、
 それを国がなくなったからと言って、他国の法が裁けるのか?」

しかし良心の呵責に耐えかねて裁判を受けた国境警備隊員は、
有罪判決を受けてそれを受け入れ、服役しているとのことなのです。
「喜んで参戦する」だと!ヒゲの佐藤!貴様に人間の心はないのか!
ああゴメンなさい、僕は武器を持っていなくて本当によかった。