中津留達雄と佐藤正久

イメージ 1

先日NHKの番組で、作家の城山三郎が取り上げられているのを見ました。
僕は戦争物の本を読むのは好きではないので、読んでいませんでしたが、
城山さんの最後の作品となった「指揮官たちの特攻」にあるエピソードで、
玉音放送の後「最後」の特攻隊員として基地を発った中津留達雄大尉が、
攻撃目標に達していながら、直前で旋回して岩に激突した話は胸を打ちました。

それは出撃命令をした上官に対する絶対服従を自らの使命としながらも、
戦争状態を終結させるためには、敵を攻撃してはいけないとの判断の狭間で、
自らの命を捨てて、上官の命令と自分の判断の両方を活かす道を選んだ。
それが、攻撃目標の直前まで行きながら旋回して岩に激突した真実だと言う。
こうした態度には、たしかに何か、古き良き日本人の潔さを感じたのです。

それに比べると、マスコミでヒゲの隊長とか呼ばれてもてはやされた、
イラク先遣隊長から国会議員になってしまった佐藤正久は、実に恥ずかしい。
彼は、多くの先人たちの死の上に打ち立てられた、平和憲法の精神を踏みにじり、
当時の小泉首相に踊らされて、率先して自衛隊の海外派兵を指揮した上に、
もしオランダ軍が攻撃を受ければ、情報収集の名目で現場に駆けつけ、
「あえて巻き込まれる」ことで、日本自衛隊の参戦を目論んでいたのです。

中津留は自らの命を捨ててまで、国民をさらなる戦火から救おうとしたのに、
佐藤は自分の勝手な感情によって、まさに中津留の上官がそうしたように、
部下の命を無用に捨てさせ、国民を戦火に巻き込む危険なことをしようとした。
さらにそうした利己的な判断を反省するでもなく、裁くなら裁けと居直っている。
こんな恥知らずの男を、英雄扱いして国会に送り出す自民党とはいったい何か?。
そんな自民党教育再生徳育だと言ったって、信用できるはずがありません。

今年は日本の各地で、あの戦争が何だったのかをもう一度見直す気運が高まり、
安倍内閣による、改憲から再軍備への道筋にあらためて危機感を抱いた人が、
新しい社会の姿を探りながら、平和な国造りの在り方を模索している。
表面的には経済格差とか社会保障とかが、具体的な問題として扱われながら、
実は何を大切に生きるかの、価値観が問われていると言ってもいいのです。

この100年間、日本という国は何も変わっていないのかもしれない。
即ち佐藤正久のように恥ずべき男が、大衆の人気を得て国会議員にまでなり、
中津留達雄のように信頼すべき男は、ひとり静かに死んでいくしかない。
この国の在り様を考えるならば、命を賭けて自らを活きるしかないのでしょう。
しかし僕は、それでいいとは思われないし、新しい流れはたしかにある。
自らの生き方を貫きながら、安心して暮らせる社会になることを望むのです。


城山三郎の「指揮官たちの特攻」は(↓)こちらから。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/410113328X?ie=UTF8&tag=isobehon-22