「ボルベール(帰郷)」

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ペドロ・アルモドバル監督とベネロペ・クルスの組み合わせは、
以前に「オール・アバウト・マイ・マザー」を見たのですが、
正直言って、この時はかならずしも良い作品だとは思いませんでした。
母親と娘だけに伝わる独特の感覚が、よくわからなかったのです。
ところが今回の作品では、同じようなテーマなのに共感できました。

ベネロペ・クルスが演じるライムンダは、娘と夫と三人暮らしですが、
娘は夫の子ではなく、それを知らない娘を、知っている夫が襲おうとする。
まだ15歳の娘は、驚いて抵抗し、勢いで父親を殺してしまいます。
それを知ったライムンダは、夫の死体を冷凍庫に隠して失踪したことにする。
彼女が何故そのような行動に出たかが、やがて理解されてくるのですが、
それは、死んだはずのライムンダの母親が生きていたことと関係するのです。

ライムンダが娘を身籠もったときに隠された事実が、明かされることで、
母から娘に、そしてまたその娘に・・・と運命のようにくり返されたこと。
男のどうしようもない性を、決して許せない女たちの絆が浮き上がり、
その絆の強さの前では、男と女の愛情など取るに足らないとさえ見えてくる。
母と娘の絆を、さらにその孫娘との絆に延ばして見せたときに、
男にはない、おんなの綿々とした血の繋がりを強烈に味わわされるのです。

この映画に出てくる主要なメンバーは女ばかりで、男は全部どうでもいい、
夫や父親でさえ、まるで偶然の通行人でしかないような希薄な存在です。
さらにこの物語の中では、ライムンダの夫と父親が殺されているのに、
シリアスな事件性も希薄なら、サスペンスとさえ言い難い甘さがあって、
その甘さが、この監督をして女性を描く映画作家と言わせているのでしょう。

全編を通して、女たちが自分の都合のいいように身辺を処していながら、
それが決して責められる材料にはならずに、むしろ愛情を感じてしまう。
さらにこの映画は、自分の娘を犯した男を深く追求するわけでもなく、
さっさと人を殺しておいて、それを深刻な罪と感じさせない何かがある。
映画を観ている僕は男なのに、殺されることを納得してしまうのです。
女の命に対する感性には、とてもかなわないと思わされてしまうのです。

ラテンの心を継ぐスペインが舞台だからこそ描きえた、この女の世界は、
実は世界中の女の中に静かに眠る、強い母系の血脈を思わせるものでした。
今年夏に公開された映画では、この作品が一番好きだったと言えるでしょう。
日本ではあまりヒットしないでしょうが、僕は個人的に好きなのです。


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