「仏教的生き方入門」

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どうせ何か説教臭いことが書いてあるのだろう、と思いながら、
まあちょっと読んでおこうか、と軽い気持ちで読み始めました。
これが日本の仏教とは違う、チベットの仏教的生活を書いたもので、
筆者の長田幸康さんもお坊さんではなく、早稲田の理工学部出身です。
そして読み進むうちに面白くなってきて、何故?かなあと思ったら、
ここに描かれているチベット仏教は、スローライフそのものだったのです。

たしかに本の副題には=チベット文化に学ぶ「がんばらずに暮らす知恵」
とあって、同じ仏教文化でもこれだけ違うのか!と驚くことも書いてある。
名前、肩書き、地位はもちろん、結婚に関してもあまり執着がなく、
一夫多妻であろうと一妻多夫であろうと頓着しない文化を持っているのは、
以前に読んだ「ラダック」の中にも書いてあったことですが、
これが単なる文化史なのではなく、今も息づいている価値観なのが面白い。
それは古い日本にもあった考え方で、自然な母系社会の姿なのです。

「怒りは役に立たない」「なぜ食文化が発達しなかった?」
「誕生日はめでたいのか?」「チベット人は分別がない」等々、
えっ?と思うようなことが、わかりやすくその理由が解説されている。
たとえば大乗仏教小乗仏教の違いなども、僕らは日本人の常識として、
日常の些細なことにこだわる小乗に対し、大乗は哲学的悟りと思ったりする。
それが、小乗の方が一人一人の成仏を目指しているとは初めて知った。
本来大乗は自分を最後にして他者を先に救うのだそうだけど、
日本の大乗は、自分のことを棚に上げて人にばかり求めている気もする。

この本が面白い理由は、内容の意外な深さも大切な要素なのですが、
それ以上に、具体的なエピソードを通して話をするので臨場感があるのです。
たとえば蚊取り線香の話では、チベットやインドのものはあまり効き目がない。
そこでインド人は、「インドはアヒンサー(非暴力・不殺生)の国だから、
煙で追い払うだけで、殺したりはしないんだ」と説明します。
するとチベット人は、「チベットの線香は、蚊を気持ちよくさせて、
人の血を吸うことを忘れさせてしまうから、もっといい!」と言うわけです。
事実がどうかは、どう理解するかと同じなのかもしれないと思わされます。

僕が普段から疑問に思っている、いわゆる「おカネ経済」に関しても、
特別拒否もせず、もらえるものは喜んでもらいけど、執着もしないのだと言う。
う~ん、お見事と言うしかないのだけど、こうした発想が自然に紹介されている。
僕はチベットに行ったことはないのだけど、これは事実なのでしょう。
やたら忙しいのが好きな日本人とは対極にありそうな、のんびりした生活で、
余計な分別で考えすぎたりせずに、目の前の関係を大切にして生きている様子は、
ちょっと前の沖縄のようでもあるし、もっと昔の自分の田舎の姿にも似ている。

あふれる生活物資の多様性においてなら、日本の方がはるかに豊かに見えるけど、
人々の幸せや心の豊かさにおいて考えると、あるいはもしかすると、
このチベットの人々の方が、はるかに豊かなのかもしれないと思ってしまう。
世界の人々が仏教を思うとき、インドでも日本でもなくチベットを思うのは、
ダライ・ラマのおかげであり、その心は人々の生活にまで息づいているようです。
この本を読み終えて、スローな生き方をしている自分が好きになりました。


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