「陪審法廷」

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日本の裁判に、裁判員制度が採用される。
そう聞いてはいますが、今一つピンと来ない。
そう思っていたところに、楡周平さんの小説、
陪審法廷」を見つけたので、読んでみました。

舞台はアメリカのフロリダ州で、裁判もアメリカ。
つまり書き手は日本人でも、アメリカの裁判小説で、
日本の裁判員制度とは、制度の違うものですが、
法廷という司法の場に、一般市民の意見が求められる、
と言う一点で、同じ「考える視点」を持っています。

そこのところは、作者も十分に承知しているので、
殺人で裁かれる主人公は、日本国籍の少年に設定して、
陪審員には日本から移住した米国人を入れています。
そこで裁かれる側と裁く側の双方に、思い入れをして、
両方の立場になりながら、裁判員制度を考えている。

日本のような少年法がない米国で殺人者となった少年は、
有罪となれば生涯を棒に振る、無罪となれば正義に背く。
そうした「有罪」か「無罪」かと言った判断など、
白黒をはっきり裁く習慣のない日本人に、出来るのか?
そう問い掛けながら、それでは何故陪審員制度はあるのか?
この法廷判断における市民参加の意味を考えさせてくれる。

日本の裁判員制度は、米国と違って有罪か無罪かは決めない。
って事は、ただ意見を申し添えるだけなのかも知れないけど、
それなら、何故今までの裁判官の判断だけではダメなのか?
そこに米国の陪審員制度にも通じるキーポイントがあって、
この小説では、法で律文化できない「情」だとしている。

いやこれはあくまで登場人物の一人が言っていることだけど、
作者はそれをもって陪審員の共感を得たことにしているので、
これが作者の考え方だと受け取っていいでしょう。
ただ法に照らして判断するだけなら、専門家の方が正しい。
だけど市民感情は、法律だけでは収まらない何かがある。

この本は小説という形を取りながら、日本の裁判員制度を、
どのようなものであるべきかの考察を、与えてくれるのです。
読み終わってから知ったのですが、この本は最初本ではなく、
電子書籍として登場したものと言うのも、時代を思わせます。

陪審法廷」本の情報は(↓)こちらから。
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